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It's too late, but ...

今世界は!
於タイ国21世紀農場:谷口巳三郎
皆様その後お変わりございませんか?今2007年は去り、2008年になりました。市場経済社会の中での、今日のこの地球上の、人類社会の無用な在り様は一体何と云ったら良いのでしょうか。凄い時代へ!恐ろしい方向へ!ドンドン突き進んでいると思いませんか?
① 人口の爆発的増加…今、全地球上で人類は1秒間に2.3人ずつ殖え、2050年には89億になるとは、国連の中位推計値です。後たったの43年で今の人口の150%ですよ!今ですら食料も水も不足気味なのに。現在1年間に、ベトナムやドイツの人口に匹敵する8300万人ずつ殖えており、増加数は年と共に増大しています。20世紀の100年間に3.6倍に殖えました。今の時代はその子供を何人に抑えればよいのか?世界中の若人に背負わされた一大難問です。解かねば滅亡します。
② 地球温暖化のエスカレート…今更私がその数字を挙げる必要もなく、皆様ご自身が膚で感じておられ、今や地球上のあちこちで大災害のニュースが絶える日がありません。ブッシュ大統領はそれらに目を背けて認めず、炭酸ガス排出が急増している中国もインドも、それを規制する京都議定書に入っておりません。1997年に京都で決めた、世界で10億トンを減らそうとの合意は、丸10年経った今、逆に275億トン増えているのです。議長国の日本も同様です。一体誰がこの増加を食い止める事が出来るでしょうか?
③ 世界的な真水不足…日本は世界一真水に恵まれた国です。然し人類は地球上の水の、たったの5%しか利用出来ず、然もその内の3.5%は農業灌漑に使われています。残りの1.5%も工業廃水に因る汚染に、人口増加と地球温暖化も加わって、2025年には世界で10億人が水不足となり、大きい争いが起きるだろうと言われています。そうすると当然、食糧生産に廻せる水が減り、食料の争奪が起きます。中国に次いで世界第2位の穀物輸入国の、日本の食糧はどこから手に入れますか?火星にでも農場を拓きますか?今や地球の耕地は劣化、老化して、生産は殆ど頭打ちですよ。
④ 緊迫化してきた世界の食料事情…210年前に有名なマルサスの“人口論”が出ましたが、世界はそれを無視して何の手も打たず、そのツケが今来ています。そして「地球は今どれだけの人口を養えるか?」の論議が世界を掩っています。既に1980年代(20余年前)に、地球の人間扶養能力は限界に達したと見られています。その当時の人口は約45億人位、それが今や65億人。既に20億人もオーバーしています。では65億人が今どうやって生きているのか?過去の余剰農産物を食い潰し、化学物質や遺伝子組み換え技術を大々的に使い、何とか持ちこたえていますが、既に飢餓人口は10億人に近く、その数は増えるばかりです。この事を一家族に例えると、年収が450万円の時、その生活費が650万円掛かっていることになり、不足の200万円は貯金を取り崩すか、生活レベルを引き下げるしかないでしょう。その貯金がなくなった場合は借金、然し地球号に火星号が金を貸すでしょうか?今、人口に対する食料の不足がはっきりと見えています。では“一家全員餓え死に”とならない為にどうすべきか?人類は今地獄の一丁目に入ったと、日本の大学教授が“World and Population”に書いています。地獄への道は多分一方通行でしょう。今更バックは不可能。“閻魔大王”は容赦しませんよ!
以上述べた色々の問題点を検討してみて、世界が一致して“最緊急時”として努力する他に手の打ち様はありますまい。“出来ねば全て終り!”人類は6500万年前に、地球の生物の王座にあった恐竜が突然滅亡したその轍を踏む事になるでしょう。一大殺戮戦争の后に!
貴方は去る2007年(平成19年)に人類の永続的生存の為に、何らかの行動をしましたか?私は今、酷暑の熱帯地で、世界の最貧国にランクされた国々の農村開発に全能力を注ぎ込んで、上記問題の解決に幾らかでも力になれないものかと苦闘しています。
It’s too late! But we must try to find the endless being way.(それはもう遅すぎる。然し吾々は永続的生存の道を探る努力をすべきである)“座死”を待ちたい人は一人もいないだろうから。世界中が「最緊急時」として協同して「永続的生存の方法」を見付け出さねばならない。待っていても、誰もその道を教え、切り開いては呉れない。それは今日の世界を見渡してみれば分る。世界の若人は、全く新しい発想で大同団結し、その道、その方法を発見し、速やかに行動に移すべきである。若人が、今からの人生を生きて行かねばならない、自分達の世界だから。

今年も又、お力添え下されば有難い極みです。それは間違いなく貴方にプラスになって戻ります。今年は遂に「新年お目出とうございます」とは書けませんでした。目出度いことが何処に有るかという気持からです。「挨拶文化の大転換」を己に課す初年になりました。以後私は残りの人生で、新年の挨拶文に「お目出とうございます」の言葉を使うことはないと思います。使える時が来れば嬉しいのですが……。“泣きながら泣き乍ら日々をすぐ、八十路越し猶茨道続く” 以上

It’s too late! But …「それはもう手遅れだ。然し吾々は永続的生存の道を探る努力をすべきである」わたしは今(自分の為にはならなくても)以下のような努力をしています。若し皆さんに哲学、思想、意見があれば、今直ちに行動すべきです。「もう議論は十分、要は実行だ!!」これは国連の年初の発表です。
1. 私は2007年、このような稲を作りました。写真①
2. この稲は写真②の如き出来栄えです。(07-10-22撮影)写真②
08年にはタイ・ミャンマー・ラオス・カンボジアに、この種子(P.T.R種)を500kg以上作らせる予定です。周辺の農家の2~3倍取れます。勿論それには技術が必要です。私の稲は有機農業、堆肥を1t/10a(≒1kg/㎡)近く入れています。
3. 農場の一角の国道沿いの場所に、写真のような看板を立てました。「堆肥を作れ、稲藁、刈り株を燃やすな、その堆肥を入れた土地を、子孫の為に残せ」と。周辺の農家では、ドンドン稲刈り跡の藁に火を放ちます。地力は長続き出来ますまい。子孫に美田を残せ!写真③
4. 私は1990年に今の農場に来た後連綿と、総ての樹木を1本1本手植えしました。右の写真は1991年の雨季に、私が近くの学校と協力して農場脇の国道に植えたチークの並木道です。地球号が私に拍手を送って呉れていると思っています。写真④
5. 写真②の右の部分です。今年の稲は登熟期に約1ヶ月の曇天が続き、多くの稲が倒伏し、収量にも影響が出ました。これらの写真はその中で比較的良く出来た水田であって、これが全体の平均というものではありません。そして堆肥を多く入れている水田ですので、この種子を蒔けば誰でも、どんな田圃でも同じ様に取れるとは限りません。然し、3~4年前には1500kg取ったこともあり、努力し、技術を使えば、これだけは取れると言う目標を示したものであると解釈して下さい。写真⑤ 以上