KTTその五

我が父は、名前で「維一郎さん」とは呼ばれず、「長官」と呼ばれていた。何の長官か意味不明だが、敬称であった事は間違いない。それもその筈、飲み会の全てが父の付けであれば、多くの子分は、神様みたいに思ったに違いない。処が、父の死後、母は元子分と絶縁して、私と親子で農業を始めたのである。これが今現在に至る、半世紀にも及ぶ、農業、就中米作りの原点となったのである。振り返れば、父の人生を20年も超えた今現在、我乍らこれ程長生きするとは、到底思いませんでした。