KTTその四

戦後の商店は殆どが酒屋!我が石貫地区にも、数件の店があった。私の記憶に鮮明なのは、畑生地区にあった「フクマヤ」と呼ばれた店である。此処は生粋の酒屋で、間口は狭く奥に細長く、我が父が最も贔屓していた店だった。来客の殆どが、中高年男性で、焼酎とつまみがあり、昼間から夜にかけて、近隣の飲ンべーが、引きも切らずに、たむろしていた。勿論彼等の目的は飲酒であり、その酒代は全て父持ちである。その代り、我家の田圃の世話を、させられていた。Give&Takeの見本と言えるだろう。