P&Pその三

それにしても、我が父の思考方法は、極めてユニークだったと云えるだろう。太平洋戦争後の、公職追放時代に、遣るべきことが無い中で、文芸に目覚めて、懇意だった玉名民報社の、大西社主からの委託を受けて、今で言えばタブロイド判の地方新聞に、随筆の投稿を始めたのである。これが予想外の売れ行きとなり、私が小学生の頃、同社の丁稚が態々自転車で、我家迄、締め切りが迫った原稿を取りに来ていた。処が父は二日酔いで、原稿を書き終えていない。丁稚は可哀そうに、父が書き終えるまで、裏木戸の前で待っていた。(この原稿内容は、別項、維一郎のブログを、参照願います)