梅雨その十八

それにしても悔やまれるのが、宮総代受諾の顛末である。数多くの役職を引き受けた私に、想いも依らない困難が降りかかって来た。石貫熊野座神社の境内には、我家の先祖が多額の寄付をした、石碑が並んでいる。ならば「他神社に見習い、拝殿周囲に記名石柱を立てたら」との提案を受けて、賛成多数だったので、思いも依らないスピードで、拝殿一周の寄付金が集まった。処が「好事魔多し」と云うべきか、或る氏子の女性が、強烈なクレームを付けた。「建設幹事の記名石柱が見すぼらしい」との事だった。私が説得に行ったら、縁側で仁王立ちになり、大声で怒鳴り付けられた。それに加えて別の男性が「〇〇記念」と書き込めとか、赤字で書けとか、言いたい放題の有様!私は余りの我儘に辟易し、以降は一切の役職を辞退した。これが無責任の田舎侍と云うものだろう!