稲作その七

今の時代、苗代は、プラスチックの苗箱に赤玉土を入れ、種を蒔き、田圃に並べる方式に収斂しつつあるが、嘗ては水を張った水田に、直接種籾をばらまく遣り方であった。従って稲の根が張って中々扱げず、下手すると苗を傷めてしまうことが多かった。そして田植も全てが手植えだったので、我家の様な農家は、大勢の人手を借りて遣らなければ、とてもとても出来ない作業だった。その為に広い土間があり、大勢の人々に昼食と夕食、及びアルコールの提供をしていた。そして労働対価は男性は焼酎、女性は反物だったように記憶している。