キリスト教その二

氏は将に無私の人であった。何故ならば、隠れキリシタンの、悲惨な現実を直視して、二度と不幸に見舞われないよう、幅広く社会に伝播すべく、老体に鞭打ち、活動されていたからである。こんな地道な活動は、余程の強い信念がなければ、とても行い得るものではない。私は氏の情熱にほだされて、微力乍ら協力をしたに過ぎない。