父その三

我が父は、私と正反対の文科系の人間で、晩年は此処玉名市の地域新聞「玉名民報」に随筆を投稿するのが最大の楽しみで、それは他界する直前まで続いていた。然し、当時の父は50代なるも、下顎癌を患い体調が優れなかった為、随筆の締め切りが迫れども、中々執筆が完成せず、新聞社の係員が、早朝から我家に来て待機していたのを、朧げに記憶している。