義母その一

義母が92歳で他界した。棺に収まった綺麗なデスマスクを見て、私は人目も憚らず、ボロボロと涙を流した。私が取り乱してしまったのは、昭和59年に逝去した、我が実母の葬儀以来の事である。父は昭和31年、私が小学4年の時に他界したので、おぼろげな記憶しか残っていない。当時は自宅葬であり、父が元村長だったことから、多数の弔問客が詰めかけて、花輪も座敷一杯に並ぶ程の、盛大な葬儀だった。後に伺えば、ニコニコしていた私を見て、涙を誘われた弔問客も多かったらしい。
それにしても義母は、我が実母とは全く対照的な人であった。実母は自転車にも乗れなかったが、義母は薬局を経営し、車を自在に乗り回して、化粧品販売をも、こなしていたからである。今時のキャリアウーマンの元祖である。私のサラリーマン時代は、熊本から静岡まで、義母と交代で車を運転して走ったこともあった。勿論当時は高速道路も無かった時代である。我が子3人は、家内と義母に育てられたと言って良い。