瀬戸物

私は石貫小6年生の3学期から、母方の伯母宅に寄留して、玉名町小学校6年に転校した。当時は戦後復興が漸く軌道に乗りつつあった時期で、何処の家庭も貧しく、特に蛋白質の不足が深刻だった。我家は山羊を飼っていたが、その乳はお産後、暫くしか出ず、手搾りは子供の手には負えない。その当時、米国から緊急援助物資として来たのが、粉ミルクである。バケツに入れた粉ミルクを水で溶かして、アルミカップに注ぐ。私は美味しいと感じて、喜んで呑んだが、町の子供は口が奢っていて、不味かったらしく、何人かが、私のカップに其の侭注いで呉れた。その代表がSさんである。以来、彼女と私は「脱脂粉乳の仲」となり、彼是60年来の親友である。注、脱脂粉乳は、牛乳からバターやチーズを取り除いた、所謂米国版「豆腐の粕」とも言える。
処が今回の熊本地震で、その瀬戸物屋のSさん宅が、被災したとのことにて、おっとり刀で参上。あれあれ、店内は陳列ケースから落下した瀬戸物類が散乱して、足の踏み場もない、ひどい状況。取るものも取敢えず、通路を確保するだけでもと、手伝った。然し軽トラ山積みのがれきを、処分するには罹災証明書が必要らしい。