脱脂粉乳

私は石貫小入学だが、玉名町小卒業なので、れっきとした町小メンバーの一人でもある。尤も町小で学んだのは、6年3学期の僅か3ヶ月間だったが、今も尚私の脳裏に“鮮烈な印象”を残すことになった。それは石貫小には無かった学校給食である。パンと脱脂粉乳、マーガリンの三点セットは保存性がよく、蛋白質、カルシウム、乳糖などを多く含み、栄養価が高いことから、戦後暫く学校給食に用いられた。主にユニセフからの援助品である。
その内に私にも給食当番が回って来た。バケツに入れた粉ミルクを、粒々が無くなるまで柄杓で掻き回し、各児童のアルミカップに注ぐ仕事である。何時か、ミルクを運んでいたら、階段で躓き、其処ら中を真っ白に汚したこともあった。然しそんな粉ミルクも、パナマ運河経由の船便で来ていた為に品質が劣化し、口が奢っていた町小の児童には聊か不評だったようで、何人かは「飲みたくない」と言って、折角注いだミルクを、そのままバケツに返していた。その代表格がSさんで、私が「美味しい、美味しい」と言って飲む脱脂粉乳を殆ど口にせず、惜しげもなく私のカップに注ぎ入れてくれたのだった。
あれから半世紀余、昨年暮れにも、玉名町小同級生数名が集まり、恒例の忘年会が開かれ、私も出席した。すると今回も隣席に座って、私の腕をギュッと掴むのは、決って小柄で痩せぎすのSさんである。それを見たK君が「どうして君達はそんなに仲が良いのかね?」と不思議な顔をする。彼は玉名(村)小卒の為に、給食の経験がなく“脱脂粉乳の縁”を全くご存知ないのである。
それにしても米国と言う国は、アングロサクソン民族だからだろうか、全ての面に於いて“深謀遠慮”に長けている。敗戦国の日本人を飢餓から救済するとの美名の下に、米が主食の日本人をパン食に改変すべく、自国の余剰農産物を大人向けではなく、子供用として供与したからである。
その証拠に、我が孫娘・孫息子はミルクが大好き!こっそりと我家の冷蔵庫を開けて、牛乳を飲んでいる。だからだろうか、孫娘は特に成長が早く、最早おんぶすると、ヨタヨタするほど大きくなった。
私は思う。日本は戦後の高度経済成長を経て、物質的には豊かな国になったが、今も尚目線の高さでは、欧米には遠く及ばない。それは中国や韓国との関係を見れば良く分かる。尖閣諸島問題に限らず、物事は須らく長い目で見なければ、その本質は理解出来ないのである。その証拠に、半世紀以上も前、土地相続でいがみ合った親族の殆どが代替わりをした現在、私はそれらの土地を只同然で借り受け、若い人達に貸し与えて、耕作放棄を防ぐ努力をしているからである。終わり
追伸:過日、年始の挨拶に叔母宅を訪問し、昔話をしていたら、娘(私の従妹)が、幼き頃に私から苛められ、大嫌いだったと聞いて驚いた。従妹は私と違って優等生で、九州大学文学部卒業後、英国に留学し、その後熊本県立美術館の審議員を勤めた。それにしても、当時の私に全く悪気はなく、ほんの徒の積りだったが、した側は忘れても、された側は60年経ても忘れないものなのだ。自戒!