スバル

昔から、日本人は物まねが得意で、諸外国で発明されたものを、逸早くコピーをして、オリジナルに勝るほどの物を、作ると云われて来たが、人間とはそもそも、親や兄弟の後ろでまねをすることから、知能を発達させてきた動物であり、物まね自体を悪と決め付けるのも、おかしなことである。
然し何はともあれ、現在我々の身の回りにある物の大半が、諸外国で発明されたことは間違いない。中でも最も身近な物として、自動車がある。今や世界中で数億台の車が走っているだろうが、その殆どが此処半世紀以内に生産されたものである。と言うのも、私が物心付いた昭和30年代初頭は、バスやトラックが殆どで、自家用車は、余程の金持ちか、商売人しか持ってなかった。私の主治医、松浦先生も、往診に来られる手段は自転車であった。
当時、石貫で車を所有していたのは、現栄屋(当時の高岡酒店)である。私の記憶では、その車種はフランスのルノーと、マツダのオート三輪ではなかったかと思う。勿論ルノーは親方の乗用車、オート三輪は貨物運搬用の商用車である。私は大の車好きで、路上駐車してあったオート三輪の運転台に跨り、勝手に運転手の気分を味わっていたが、そのハンドルは丸型ではなく、二輪車タイプだった。
その後、日本は高度成長の波に乗り、同時に自動車ブームが訪れて、一気に車社会に変貌した。それを牽引した一方の旗手が、スズキ・ダイハツ・ホンダ・三菱・マツダ等の、所謂軽自動車メーカである。軽は車体サイズやエンジン排気量が制限されていて、当初は360ccであったが、数度の改定で現在の660ccまで格上げされた。軽自動車の最大の特徴は、車体の大きさや排気量だけでなく、税金を含めた維持費の安さにある。今や日本の軽自動車は、多くの観点から世界に冠たる車だと言って良い。中でも隠れた優れものが軽トラックで、今や田舎では殆どの家に1台はある。然しそのレイアウトは各社毎に微妙に異なる。エンジンとタイヤの配置である。小回りを利かせるには、ホイールベース(前輪と後輪の距離)は小さい方が良い。又タイヤのスリップを防ぐには、前後輪の軸荷重が均等な方が良い。その為だろうか、近年多くの軽トラックメーカが、前輪の配置を、運転席前から後ろに後退させるモデルチェンジを行った。それを発売当初から採用していたのが、我が愛車“スバルサンバー”である。尤も、上記のレイアウトでは、前輪荷重が重くなり過ぎ、空荷で走る時や急な上り坂などでは、後輪がスリップし易い。処がスバルの軽だけは流石と言うべきか、発売当初からピストンを左右に水平に配置した、独特のレイアウトを持つ水平対向エンジンを、荷台の後ろ下に設置しているので、空荷であっても、四輪にほぼ均等な荷重が掛かり、悪路でもスリップし難いのである。
軽トラの用途は、2人乗用機能プラス貨物運搬は勿論のこと、パワステ・エアコン・四輪駆動機能を装備している車両が殆どで、狭い道や悪路もなんのその、一般車が泥濘に嵌った時等は、スーパーローギアに入れれば、驚くほどの牽引力を発揮して、引き上げることも出来る。
そんな軽トラ愛好者の私が、最近困ったことに見舞われた。運転異常である。上手に言い表せないが、何となくハンドル操作に違和感がある。戻り難いと言った方が良いかもしれない。車はハンドルを放せば、直進するように設計されているが、その力が弱くなった気がしたのである。それは間違ってなかった。ステアリングキットの不具合で、交換が必要とのこと。態々関東から取り寄せた中古部品と交換して、やっと愛車が戻って来た。
私は思い出す。彼此40年程昔、群馬県太田市の友人の家に遊びに行った時のことである。群馬にはスバルの工場があり、友人宅には往年の名車スバル360(通称カブトムシ)が有った。私は友人とその車に乗って、名峰赤城山と榛名山にドライブしたのである。当時既に相当のボロ車だったが、流石スバルである。低速で山上の駐車場まで登ることが出来た。あれから遥かなる時が過ぎ、スバルは今般軽トラの生産を中止して、他社のOEMに切り替えるとか!スズキやダイハツの軽トラには、どうしても乗る気がしない私は、これからも名車スバルサンバーを、大切に使い続けたい。終わり