架け干し

私が無農薬農業を始めて最早10年目を迎えた。然し此処数年は地球温暖化の影響か、年々米作りが難しくなりつつある様に感じるのは、気のせいだろうか?特に今年は夏の酷暑の影響か、殆どの水田がウンカの害に見舞われ、稲刈作業は困難を極めた。本来ならば、バインダーを使って、自動刈り取りが出来た筈なのに、茶色に枯れてランダムに倒伏した稲を刈るには、手刈りしか方法がなかったのである。然し腰をかがめて刈り取る作業は、老体にはとても堪える。そんな中でM氏の水田だけはウンカに侵されず、逸早く我がバインダーを使い、自田3枚をスイスイと刈り取り、我等が何日間も悪戦苦闘する様を、高見の見物されたのは、流石の私も面白くなかった。何でも氏に依れば“技術の差”だと云う。私はその秘訣を尋ねたが“水管理”という処迄しか教えて呉れなかった。思うに氏の水田は棚田の最上流部にあり、自在に水位管理が出来る利点を有する。一方下流の水田は、M氏の水田の余り水を貰う仕組みの上に、耕作者が遠隔地の人々で、臨機応変の水管理が難しい、ハンデを有するからである。
他方殆どを占めるケミカル栽培の一般農家は、ウンカの予防対策として、ラジコンヘリに依る農薬散布を複数回実施したにも拘らず、大半の水田がウンカに侵された為に、業者の大型コンバインを使って、2~3日間で殆どの田の刈取りが終了した。近年は田主の高齢化に伴い、多くの農家が、収穫作業(稲刈・脱穀・乾燥・籾摺り)を外注化し、畦に立ち眺めるのみである。然しこんな遣り方は本来の農業とは云えず、利益の大半は機械や肥料・農薬散布の経費に消えてしまって、米を買うのと然して変わらない結果となる。私はこれを“見物農業”と揶揄している。
そんな中で私は今年も相変わらず、架け干しに拘った。その理由は、一に金が掛からない。二に米が美味しい。三に作業が楽しいからである。幸いにも架け干しの材料となる真竹は、田圃の周辺の山には無尽蔵に生えている。これを10月に伐り出し、稲刈後の田で組み立てる。昔は樫の木が材料だったが、今は真竹なので結構難しい。竹は木と違い滑り易く、強度も低い。根元の太い部分を使えば、田圃に差し込むのが難しく、先端の細い部分を使えば、撓って稲の重みを支え切れない。そんなハンデを克服して組み立てるのが、技能と言うものである。私は今秋、架け干しを約20セット組み立てた。処が自宅裏の3セットが、伊豆大島に災害を齎した台風26号に煽られ、物の見事に転倒したのである。残りの4セットは無事だったので、風の所為には出来ない。問題は脚の締結不良である。畳紐を使ったので強度は十分だが、強風に煽られてズルズルと滑り、尻餅をついたのである。こうなったら始末に終えない。将棋倒し状態に折り重なった稲束を、一束ずつ切り離して再度組み立て、掛け直す。それだけなら許せるが台風には雨も伴うので、落下した稲には泥汚れが付いていて、その米はジャリジャリと食感も悪くなる。この掛け干しの遣り直しほど、テンションが下がる作業はない。
そんな秋の収穫シーズンの真っ只中に、玉名市長・市議会議員選挙があった。私が耕作する馬場の田は、廣福禅寺に通じる道路沿いにあり、多くの選挙カーが態々停車して、握手を求められた。私は石貫支館長時代、現高碕市長とは、玉名温泉に浸かり乍ら裸同士で語り合った程に、親しい間柄であったが“大震災直後の避難者への冷淡な対応”に失望して反対派の急先鋒に転じた。然し選挙結果は現職が僅差で当選。と言うことは “市民目線の政治”等と云う空疎な抽象用語を掲げ、次回選挙に備えて可能な限りの会合に顔を出し“当たり障りのない挨拶”をするだけで、実質的には “何もしない市政”が、少なくとも今後4年も続くのである。然し私は自分で自分を慰める。市長で在り続けることが最大目的の市長に、期待することなど何もない。私が出来ることを精一杯やるのみである。終わり