ダブルスタンダード

先にサッチャーのことを書いたので、同時代米国の大統領だったレーガンのことも書かねばなるまい。レーガンは元ハリウッドスターだが、お世辞にも大スターではなかった。然し大統領レーガンは、ソ連を“悪の帝国”と見なし、軍縮から軍拡に転じて、圧倒的な経済力と軍事力を背景に、有名なスターウォーズ計画をぶち上げ、日本にも自衛力強化を迫る一方で、中曽根首相との親密なロン・ヤス関係をアピールするなど、巧みな外交を展開した。当時、他方の大国ソ連では、ゴルバチョフ大統領が、ペレストロイカと称する、開放政策を推し進めた事もあり、ロシア以外の国々が次々に独立を宣言して、所謂東西の雪解けが進行し、最後にはベルリンの壁も崩壊して、戦後長きに亘った東西冷戦が終結したのであった。
その後、世界はアメリカの独壇場となり、所謂一国行動主義により、ソ連に代わる“テロとの戦い”が始まった。一国行動主義とは、同盟国や相手国の事情に構わず、米国単独で戦いを始める考えで、イラン・イラク・アフガニスタンと、次々に対象国が増えた。その結果、今度は国家を超えたテロリズムが横行し始め、アメリカは9.11テロにより、資本主義国家の象徴とも言える、ニューヨーク・マンハッタンの、ツインタワーを破壊されたのであった。
私はこの当時、油が乗り切ったサラリーマン時代で、部下も業務委託社員を含めると30余名になり、狭隘な本館事務所内には収まらず、別棟の女子寮の食堂を改造した部屋で執務していた。此処はそれまでの大部屋とは異なり、他部門に気遣うことなく、思うが儘に業務を遂行出来る最高の環境だったが、この“特別待遇”が、後に訪れる不幸の切欠となった。人間の感情で最も御し難いのは“嫉妬”である。何故私の部門だけが多勢で、他の部門は無勢であったのか?然し、その後トップの交代と共に、私の課は一転して草刈場と化し真綿で首を締められるような、長くて辛い衰亡の歴史が始まった。然し、この逆境こそが私という人間を強くしたのも、間違いのない事実である。
早いもので私は今年、退職して足掛け10年になる。この期間は、若者との出会いの10年でもあった。殆ど企業人しか知らなかった私にとって、退職後知り合った人々は、利害関係なくお付合い出来る、一生の友達でもある。特に昨年から今年に掛けては、九州関内のみならず、関東からも大勢の人々が石貫に来られた。然し一方では、この10年間に此処を去られた人々も又数知れない。正に“行く人来る人”である。人々は去れども歴史は残る。今現在、我家に残るのは、Ⅰにチキントラクター(鶏小屋) Ⅱに椎茸ホダ場であろうか?
丁度一年半前の秋に、クヌギの原木数十本を我が山から伐り出し、椎茸菌を打ち込んで杉林の下の木陰に伏せ込んだ。私はパーマカルチャーの仲間にも呼びかけたが、参加して頂けなかった。半年間にも亘るような長期の作業は“労働”と見なされ、おまけに菌代等の経費を徴収するやり方は“金儲け”と思われ、人々は集まらないだろうとのご託宣だった。然し、そう主張された方が今、私と同じような事をされている。
私はこれこそダブルスタンダードだと思う。そもそもスタンダードとは“先駆者が確立した規範”を指すらしく、先駆者足るNPOが主催すれば“エコ活動”で、足り得ない私が主催すれば“金儲け”なのだ。米国がイラクやアフガニスタンに侵攻するのは“聖戦”で、アルカイダやタリバンが、米国を攻撃するのは“テロ”と言われるのと、良く似た論理構成である。要するに人間は、自分に都合良い論理を構築することに長けており、白を黒、黒を白にも変えられるのだ。
私は思う。どんなに詭弁を弄しようが、事実は曲げられない。一年半前に椎茸菌を打ち込んだホダ木の形成層全面に、今椎茸の菌糸が蔓延しつつある。二梅雨を経過したこの秋には、夥しい量の椎茸が発生するに違いない。それをメンバーは只で採り放題。遠路の人には要請に応じて、自宅まで送ろうと企画している。終わり