大阪市役所

今、大阪が燃えている。橋本前知事が任期途中で辞職し、新に大阪市長に就任したからである。そして氏は大阪都構想を引っさげ、現大阪市役所を目の敵にして潰そうとしている。橋本氏が何故にあれ程大阪市役所を嫌っているのか、大方の人は恐らく不思議に思うに違いない。
処が、私は不思議に思わない人間の一人である。と言うのも静岡と和歌山に勤務していた会社員時代に、私は数え切れないほどの回数、大阪市役所を訪問した経験を持つからである。私は、社内でも出張の多さでは群を抜いていた。その殆んどが、私の手がけたマルチセントラル空調システムを、売り込む為の訪問だった。
私の出張先は、本社を含む東京・関東が約半分、大阪近辺の関西が1/4、その他の地区が1/4位だった。大阪出張の時には、先ず会社の関西営業所に出向き、担当者と打ち合わせの後、歩いて行ける距離に在る大阪市役所に向かった。
此処は、今考えても“異様な役所”だった。大抵の訪問先には業者との面談室があり、そこで打合わせるのが普通で、お茶位は出て来る(出なくても自動給茶機位は備えてある)。処が大阪市役所は、お茶処か、段ボール箱や書類が無秩序に山積みされた、トイレに続く薄暗い埃まみれのカウンターが面談所なのだ。当然廊下には椅子もない。同行の営業担当者が、カウンター越しにぺこぺこ挨拶をすると、担当者が不機嫌そうな顔付きで、椅子を引き摺りながらカウンターに近付いて来る。そして自分だけその椅子に腰掛け、我等は立たせたまま、面談が始まるのである。勿論その前に、目立たないように、私が工場営業から託った菓子折りを“こっそり”手渡すのは怠りない。
そして面談の最後に、市役所員が小声で告げるのは、建築許可の下りた(又は申請を受付けた)ビル部件の情報であった。私達はその情報を元に、先ず設計事務所に出向き、空調方式と発注先の情報を聞き出し、施主に挨拶に向かった。今考えると、橋本氏が言うように、大阪市役所は許認可権を一手に握り、業者を手玉に取る役所だったに違いない。だから関西営業所員は、何が何でも“いの一番”に大阪市役所のご機嫌伺いに出向いたのだ。それに引き換え、東京の本社では、都庁や区役所は素通りで、殆んどが設計事務所、設備業者、施主への挨拶であった。きっと役所関係は別の担当だったのだろう。
振り返って我が町、玉名市はどうかと見てみれば、とても褒められた状況にはない。今年は東日本大震災の影響で、多くの人々が首都圏から全国各地に避難された。熊本にも阿蘇を始めとして、相当数の方が避難されている。処が当玉名市が、被災者の為に用意したのは、住む人も居ないオンボロ市営住宅一戸である。私は“馬鹿にするにも程がある”と言いたい。それもあって、私は今年懇意にしていた筈の玉名市長に、二度も面会を求めた。一回目が放射能瓦礫を、熊本に持ち込ませないで欲しいということ。二回目は、玉名市も被災者を積極的に受け入れて欲しいということであった。
然し、今回の市長の態度は、被災者に好意的とはお世辞にも言い難く、私はひどく失望した。市長が、この問題に少しでも興味を持たれたら、担当部者の責任者を呼び、現状を聞かせ、受け入れ可否を検討させる位の事は、して頂けるものと期待していた。それなのに、市長が得意げに喋ったのは、自宅の屋根に逸早く太陽光パネルを設置した、自身の先見性を誇る自慢話であった。私は大阪市役所だけでなく、玉名市役所も嫌いになった。そんな状況下で、玉名市周辺部の和水町、南関町では震災後、町営住宅を整備し、被災者には一年間無償で貸し出している。これがヒューマニズムと言うものである。玉名市は、九州新幹線の新玉名駅も開業し“県北の雄都”等と自慢しているようだが、弱者に優しくないイメージを持たれぬ様に、私個人でも出来る範囲の活動は、これからも続けたいと思う。終わり