震災米

今年は表年(オモテドシ)に当たるのか、柿や栗、銀杏やイチジクなどの果樹が、何れの木にも鈴なりで、米や野菜も食べ頃の、一年中で最も豊かな“実りの季節”が到来している。然しそれを素直に喜べず、心の中にポッカリと穴が開いたような空虚な感じがするのは、やはり東日本大震災の影響であろうか?熊本は地理的に、鹿児島や長崎と並び、被災地からの距離が最も遠く、然も有明海と言う内海に面しているので、津波の心配は殆んどない。その上、幸いなことに県内には原発も立地していないので、南阿蘇には50余名もの人々が避難して来ているとか!我が石貫にも現在3名が移住され、今後更に2名が来られる予定になっている。
私は過去数年間、主に片白を舞台に仲間と米作りをしてきたが、今年東京から避難・移住されたMさんの考えに共感して、来年からは安全な米を求める、首都圏の人々の為の米も作ろうと考え始めた。これは言うならば“震災支援米”である。然しその生産の為には、新たな農地の確保が必要となる。私は過去、鷽の谷で7枚、片白で12枚、古城で4枚、合計23枚の水田を借地した。然し何れも有償であり、地主には“それなりの地代”を支払わねばならない。
一方“震災支援米”と云うからには、首都圏まで送る為の経費も掛かることであり、その他の生産経費は出来るだけ抑えねばならない。私はその為に、地主に米作りの趣旨を理解して貰い、無償で借りようと考えた。その結果、鷽の谷で2枚、古城で2枚の合計4枚、約3反(≒3000㎡)の田圃を、ほぼ無償に近い形で借りることが出来た。
然し、これらは何れも荒れ田で、長年の耕作放棄の結果、地表はひどい凸凹の上に、畦は“在って無きが如し”の状態である。従って水稲を作付け出来る状態に戻すには、多大の労力を必要とする。特に同級生のI君から借りた約2反の田圃は、西側の山地に生えた夥しい本数の真竹や雑木が、田圃の上に幾重にも覆い被さり、日照を遮っている。私はMさんの助けを借りて延々数十メートルにも亘る竹林の竹を、1本1本伐採して引き出し、枯れ竹は焼却し、生竹は乾燥後、枝落としをして、猪侵入防止のバリケードの材料にすべく、作業を開始した。斯様な作業は重労働且つ危険をも伴うので、条件の良い日を選び、余り無理をせずにやることが肝心である。私の計画では遅くとも11月迄に伐採完了。寒中の12~1月に、重労働のバリケード建設を完了したい。そして2~3月は、これも重労働の畦修復作業である。4月になると急速に雑草が繁茂し始めるので、その根張りを利用して畦崩壊を防ぐには、出来るだけ早く畦立て作業を完了せねばならない。通常の農作業の外に、これらの仕事が加わり、今秋の私は目が廻るような忙しい毎日となった。
私は、自分の仕事ならば一生懸命やっても、他人様の仕事となると“楽をしたい、適当にしたい”との怠け心が無意識に頭をもたげる程度の人間である。ところが今回だけは何故か、そんな邪心が全く入り込まず「思い立ったのが吉日、早く立派に成し遂げたい」との焦りにも似た感情が湧き上ったのである。これは「自分は良いことをしている、人様の為になることをしている」と思ったからなのかも知れない。然し私一人の力だけでは微々たるもので、周囲に同じ様な心の輪が広がることが望ましく、近隣に周知することも必要と考えた。その為には、田圃の前の道路脇に、震災支援米の立札を立てようと思っている。
数世紀に一度あるかないかの大地震、そして有史以来初めて原発が大津波に飲み込まれた今年「被災地の人々に寄り添う」等々、一見心地良さそうなレトリックが飛び交っているが、もっと重要なことは具体的な行動を起こすことではなかろうか?私は、今回の震災支援米プロジェクトについては、圃場整備までの準備作業は関係者中心で進めても、来年6月の田植えから夏場の稗取り・草取り・稲刈・脱穀等の作業については、周りに広く呼び掛け、出来るだけ多くの人々に参加して頂いて事を進めたく、どうぞ皆様のご協力を宜しくお願いします。終わり