健忘症

オシッコをした後、所謂“社会の窓”を閉め忘れて、誰かに指摘されたり、後に自分で気付き、慌ててチャックを上げる時ほど、恥ずかしい想いをする瞬間はない。それが相当時間が経過した後であれば尚更のこと「一体どの位の時間、空けたままでいたのか?」「その間誰と会ったのか?」ハタマタ「道理であの人の目付きがおかしかった!」等々思い出しては、一人赤面することも一度や二度ではない。こんな単純な動作すら忘れるのは、果ては「痴呆の徴候か?」と悪い予感が、私の脳裏を掠める。
私は、子供の頃は暗記が得意だった。特に地理が大好きで、日本地図を眺めては、47都道府県の県庁所在地や市町村名、山脈と標高、河川の長さや湖沼の深さに至るまで、片っ端から暗記した。勿論、世界地図も同様である。お陰で、高校の地理では全校で只一人、満点を貰った程であった。その同じ人間が、半世紀後には、社会の窓も閉め忘れる。一体私の頭脳はどうなってしまったのだろう??
私の典型的な症状は、以下の4項である。
① 直前にしようとしたことを忘れる。
(納屋に行き、何を取りに来たのか思い出せない)
② 前回買ったものと全く同じ品物を、再度買う。
(店も陳列場所も同じなのに、全く気付かない)
③ 親しい知人の名前を忘れる。
(最近会った気はすれど、何処の誰だか思い出せない)
④ 同じ人に同じ話を何度もする。
(自分では初めてする話だと、固く信じている)
この内、①②は云わば自己責任に属する分野で、大きな問題にはならない。然し③④は、人間関係に属し、相手の気を悪くしたり、ウンザリさせたりする。然し、何と言っても健忘症の最大の問題は、本人が(変なことを言っている自分に)気付かないことである。私は毎日、至極真面目に生活している(と思う)。然し相手から見れば、おかしな言動が多々あるに違いない。従って私もこの欠点(病気)を直そうと色々努力してみた。例えば自己紹介をされた時、復唱するとか、メモにするとか。然しその肝心なメモを何処かに置いて、みつからなかったり、そもそもメモをしたことを忘れたり、この病気は意外と厄介なのである。何でも人間の記憶を司る部位は、脳の中の海馬と言う所らしいが、私の海馬はきっと記憶の収納場所が中々検索出来ないのであろう。
私は30代の後半から、半導体工場に勤務した。当時その工場で生産していた代表的な半導体は、メモリであった。メモリは大きく分けて、RAMとROMがある。前者はランダム・アクセス・メモリと言い、読み出し速度は速いが、定期的にリフレッシュをしなければ消えてしまう。一方後者はリード・オンリー・メモリと言い、読み出し速度は遅いが、一旦記憶すると、電源が切られても強制的に消去するまで記憶が残る。きっと私のRAMは、現在リフレッシュが上手く出来ないようだ。一方、私のROMに記憶されたデータは、殆んどが若かりし時代のデータで、時代が古くなるほど鮮やかに蘇る。中でも最も鮮明に記憶に残っているのが10~20代のデータである。30代以降は、時代が新しくなるに従って不鮮明になり、最近のデータに至っては殆んど消えて、残っていない。
若い頃から続け、最早半世紀を越えた日記書きも、継続が怪しくなって来た。何故なら近年は、翌朝に前日の日記を書いていたが、最近は前日の出来事が殆んど思い出せなくなってしまった。されば当夜、当日の日記を書こうと思ったが、これまた大差なく、当日の行動もあやふやである。と言うことは、私はそろそろ、日記を書くことすら無理な年齢になりつつあるのかもしれない。
私は思う。5~6歳から延々60年近く続けてきた日記書きも、そろそろ終幕が近付きつつあるようだ。ならばこれ以上無理に書き続けるより、今まで書き溜めた日記を読み返して、整理をする時期かもしれない。私の叔父は嘗て「徳永家の歴史」という書物を書き上げたが、健忘症の私は自身の日記をベースとして「徳永龍の歴史」を書くのも一考かもしれない。終わり