オモニ

もう半年も前の2月中旬ことであった。私は知合いの蓮華院のKさんから、姜尚中氏の講演会があると聞き、氏には興味があったので、軽い気持ちで出掛けた。処が思いがけなく、寺院に繫がる農免道路が大渋滞している。然もその車の多くは、福岡や北九州の県外ナンバーである。イライラした気持ちを抑え、やっと参道を登り切ったら、駐車場も満杯。幸い私は軽トラだったので、駐車中の車の隙間に、首尾良く滑り込ませる事が出来た。
然し会場に着いてマタマタびっくり。受付に並んだ人々の中で、ちょっとした騒動が起きている。何でも入場は“招待券”持参者に限定だとか!これでは私を含めて、招待券を持たずに来た人々は収まらない。「そうとは知らなかった!」「金(2千円)を払うのに何故入場させない?」「当日券を発売しろ!」イヤハヤ大変な騒ぎである。私は受付をしていたKさんに、招待者が入場完了後、空席があれば、我等招待券を持たない人も、入場させるようにお願いし、実際そのようになった。
そして会場に入ると、ほぼ満員の観客の大半は“中年女性”ではないか!私は後方の窓際の席に座ったが、女性群は中央の通路側の席を奪い合っている。そして氏が中央後ろから入場される時が、騒動のクライマックス!「ワーワー」「キャーキャー」言いながら、氏の手や背中からお尻に至るまで“お触りの手手手” まるで人気タレント並の大騒ぎである。
そして講演会は、前半が氏のお話、後半は蓮華院住職との対談だった。私は氏の話にも勿論興味はあったが、それよりも何故、氏はこんなに中年女性にモテモテなのかを考えていた。多分来訪者の多くが、氏の著書の読者だろう。熊本生れの氏は、私如き“胴長短足”とは違い足が長くてスタイル抜群である。その顔色浅黒く、精悍且つ独特の憂いを含んだ表情と、低音での魅力的な話し振りは、東大政治学部教授と言う最高のステータスと相まって、女性本能を擽るに違いない。
それにしても、氏と私には意外な共通点がある。それは所謂“マザコン”である。私は自分がマザコンであることを、新入社員当時に複数の女性社員から逸早く見破られ、事ある毎に冷やかされて以降、ある種のコンプレクスとなっていたが、氏があんなに女性にモテモテなのを見て、少し考えが変わった。何もマザコンの自分を隠す必要はないのだ。それに人間がマザコンなのは、ある種必然でもある。何故なら高等動物の殆んどは、母の胎内から発生した生物だからである。その遺伝子は父母の双方から受継いでいるとしても、肉体的には母の胎内で発生して10ヶ月近くもその子宮内で過ごし、産まれ出たのであるから、母が愛おしいのは必然である。
姜尚中氏はその著書「オモニ(母)」のプロローグの中で、以下のように述べている。『母、それはいつの時代にも、子供の心を虜にせずにはおかない。幼少の頃、子供以外の何者でもなかった全ての者にとって、母は絶対的な存在だった筈だ。例えそれが、激しい愛憎を伴っていたとしても。とりわけ息子たちにとって、母は「女」ではなく、あくまで母でなければならない。息子から「男」になり「女」と交わり、父親になってからも、息子たちは、母が女であったことを、認めようとはしない。それほど、母という言葉は、息子たちの心を“尋常ならざるもの”にしてしまうのだ。』以下続く。
私は、姜尚中氏のこの巻頭言を読み、余りのリアルさに衝撃を受けると共に、マザコンであった自分の過去に対する負い目が、スーッと潮が引くように消え去るのを感じた。あたかもそれを証明するかの如く、父親っ子の我が孫娘ですら、ちょっと悲しいことがあると「アイゴー・アイゴー」ならぬ「ママダイイ・ママダイイ」と大泣きする。こればかりは「ジジダイイ」は勿論のこと「パパダイイ」にも、絶対にならないのである。終わり