パラダイムシフト

東日本大震災の被災者の皆様には心よりお見舞い申し上げます。
地震が起きた時刻、私は裏山の椎茸ホダ木に、日除けの覆いを掛ける作業をしていたが、地殻の揺れを全く感じなかった。然しその夜から、TVで流れる映像は一変した。全てのチャンネルが震災関係の特別番組に切り替わり、まるで特撮映画のシーンのような信じられない光景が、これでもかこれでもかと放映され始めた。最も衝撃的だったのは、上空や高台から撮影された、全てのものをアメーバのように飲み込む、恐ろしい津波の映像だった。私は、家が土台から引き剥がされたり、車が水に浮く事にとても驚いた。津波の犠牲者は、戦後最大の2万人を超えたとの事。一つの町が、そっくり地上から消えたに等しい。
福島第一原発の深刻なダメージと危機対策も連日報道されている。視聴者の多くが、ウクライナのチェルノブイリや、米国スリーマイルアイランドの事故を連想したに違いない。私は小さな頃、父に連れられて玉名(旧高瀬)駅に行き、SLによる貨車の連結作業や、高瀬火力発電所(大正14年完成、熊本県内唯一の石炭火力発電所、昭和31年廃止)の大きな煙突とか、鉄塔などの大型構造物を見るのが大好きだった。当時は冷戦の最中で、米ソが核実験でしのぎを削り、南太平洋ビキニ環礁では、焼津の漁船第五福竜丸が、死の灰を浴びて久保山愛吉氏が亡くなった。ストロンチウム90やセシウム135は、当時良く聞いた単語でもある。そんな私が、長じてエンジニアになったのは、ある意味で自然の成り行きだったのかも知れない。
当時から半世紀有余、科学技術の進歩は止まるところを知らず、機械設備の高度化・複雑化が急速に進行し、今では殆んどの設備が、コンピュータをフルに駆使せねば、管理出来ないレベルに至った。
問題は原発設備が、今回のような大地震と大津波をも念頭に置いた“フェイルセーフ思想”に基いて造られていたかである。恐らく内陸では、原子炉冷却用として海水の利用が難しくなるので、海岸沿いに立地し、その結果今回の津波を被ったのだろうし、配線・配管を含む、機器の耐震強度も不足だったに違いない。
それにしても原発は厄介な代物である。殆んどの機械設備は、地震や津波に遭えば、瞬時に機能が停止するが、原発だけはその逆に動く。即ち、核反応を抑制する制御棒の機能不全や、冷却水の不足による燃料棒の溶解(メルトダウン)挙句の果ては放射能漏れとなる。車に例えれば、事故で運転手が気を失い、アクセルが踏み込まれたまま、暴走を始めた状態に似ている。こんな時は、安全な場所に乗り上げさせて、エンジンを切るしかない。今、東京電力が命がけでやっている仕事は、正にこれである。
諸外国は、今回の震災で日本人が略奪に走らなかったことを賞賛しているが、私は、今回の震災を経験して、日本はもう一段上へと、パラダイムシフト(国論統一)をするような気がしてならない。あたかも中世において、それまで長い間支配的だった天動説が覆ったように、全知全能に思えた科学技術が、自然災害に対して非常に脆弱だったことや、所謂“平凡な日常生活”が、如何に素晴らしいものであるかを、多くの国民が改めて悟ったからである。地震が昼間に起きたことや、まさに小沢氏が「生活が第一」と標榜した民主党が、政権の座にあったことは不幸中の幸いだった。自衛隊の存在意義が与野党を通じて統一されることも大きい。一方、今後原発の新規立地は殆んど不可能になり、太陽熱や地熱、風水力やバイオマス等の自然エネルギーが見直されるだろう。今回の津波の被災地では、鉄とコンクリートで築かれた巨大な防潮堤に変わり、ハイテクを駆使した革新的な避難システムや、より高地での新規住宅地造成、大規模移住による漁業スタイルの大きな変化が生じるに違いない。魚好きな私には辛いことだが、復興までの数年間は漁獲量が減少し、魚価が高騰するだろう。それは日本人の食生活の変化にも繋がる。
そして日本人も、これまでの“大国意識”から、所謂“普通の国”へ徐々に変貌するだろう。これは決して悪いことばかりではない。今までの日本は、米国や中国、ロシアなどの所謂大国とのせめぎ合いに注力し過ぎ、聊か背伸びをしていた。これからは身の程をわきまえて、これらの国々とは一線を画し、小さくても“国民一人一人が安全に暮らせて、幸せを感じる国づくり”を目指さねばならない。終わり