現代の名工

“現代の名工”とは、卓越した技能者のことを指し、皇居に於いて厚生労働大臣により表彰されるとか!その受賞者の一人、M君の受賞記念祝賀会が先日あったので、私も出席した。会場の居酒屋には、嘗ての職場仲間数十名がお祝いに駆けつけ、大盛況だった。
私が昭和59年、母の病気を切欠に、和歌山から玉名に引き上げざるを得なくなり、会社の好意で三菱電機熊本工場に配置転換して頂いた当時、M君は若手技能者の一人として、生産設備の組立に従事していた。当時はバブル前の好景気で、半導体も羽が生えたように売れたので、会社は増産に躍起となっていた。増産対策は大きく分けて二つの方法がある。人員増強と設備投資である。一般的に製造現場は前者、即ち人員増を求める。それは手っ取り早いし、自分達の権限拡大にもなるからだ。然し不況になった時、一旦雇用した社員の首切りは、当時の雇用慣行上、簡単ではなかった。だから私の属した設備技術課は、設備投資による増産を使命としていた。然し、本格的な設備投資には多額の資金が必要で、実施に際しては社内各部門の複雑な稟議を経ねばならず、手間や時間が掛かる。そこで小回りの利く社内の固有技術を活用して、生産のネックになっている工程の合理化を計るのである(これは日本発“カイゼン”の名称で、今や世界中に普及しつつある)。
それは主に後工程と呼ばれる、ICの組立やテストについて行われていた。私の上司は、社内の技能者から有能な若手をどんどん抜擢して、我が課を積極的に強化された。当時はメカを担うO君と制御を担うF君がエース格で、次々にユニークな装置を設計した。その装置を組み立てるのが、M君の役目だった。然し誰が設計しても、最初から装置が上手く動作するほど生産現場は甘くなく、トラブルが連発する。その最たるものがJAM(ジャミング)と称する引っ掛かり、即ちICが機械の何処かに詰まって動かなくなる現象であった。この現象の要因は実に様々である。M君は組立調整が専門だったが、何時もトラブルのことで、設計者に噛み付いた。国会で、野党議員が政府提出の法案に噛み付くのに似ている。M君の主張は「設計変更(法案修正)が不可欠」対するO君の回答は「機械の調整(制度運用)で対応すべし」。両者の言い分は国会同様に真っ向から対立したが、多くの場合M君が折れて、顧客の矢面に立つ羽目となり、結果的に多くのノウハウを身に付けた。
私は当時課長で、最終決断をする立場にあったが、専門外だったので個別事案への深入りは避け、横で見守った。そんな時O君は大抵(役立たずの)私に、寿司の差し入れを求めた。流石にアルコールは無かったと記憶しているが、休日の土曜の半日、関係者が一室に篭り、寿司を食べながら、喧々諤々の検討会が催された。その場でのM君は所謂口下手で、必死に何かを訴えようとするが、適切な言葉が見つからない。要するに、今で言う“顧客指向”を言いたかったのである。製造現場はノルマを課せられ、機械の調子が思わしくなければ最悪の場合“手作業”に追い込まれる。そんな修羅場での苦しい経験が、彼の掛け替えのない資産となり、今回の受賞につながったのだろう。
私は今、自分に問い掛ける。「己には修羅場の経験があっただろうか?」と。多分M君と比較しても、私は見劣りする程度の経験しか、持ち合わせていないように思う。そんな凡庸な私が、彼らの管理者として長い間“偉そうに”振る舞えたのは、一にも二にも当時の上長のお陰と言うしかない。その方は今現在、何と我が娘が働く会社の社長なのである。終わり