キャタピラー

先頃の第60回ベルリン国際映画祭で“寺島しのぶ”が最優秀主演女優賞を受賞した話題の映画“キャタピラー”が、終戦記念日に合わせて、全国一斉に封切られたので家内と見に行った。時は第二次大戦中の日本、シゲ子(寺島しのぶ)の夫・久蔵は召集を受けて大陸戦線へ出陣し、勇猛果敢に戦ったが、傷付いて帰国した時の顔は無残にも焼けただれ、四肢共に失っていた。そんな久蔵は、村の人々から奇異の目で見られつつも、多くの勲章を得て、新聞では“生ける軍神”として崇められる。一方シゲ子は食糧不足の戦時中、久蔵のあくなき“食欲と性欲”に困惑しつつも日夜それを埋めていく。然し次第に日本に敗戦の影が迫り、久蔵は自らが戦場で犯した蛮行(レイプ)が脳裏にフラッシュバックして苦しみ、終戦と共に自害する。そんなストーリーであった。
この映画は、上映時間の大半が食事とSEXの場面だったが、裏を返せばとてもシンプルで分かり易く、海外の映画祭で上映したとしても、吹き替えすら要らないだろう。私はこの映画を見つつ「人間は“食べる本能”と“種族保存の本能”を有する」と教わった、玉名中学での性教育や、子供の頃母が私に語って聞かせた戦時中の話を思い出していた。と言うのも私の母は、顔形から体型に至るまで、寺島しのぶにとても良く似ていたからである。母は明治43年の生まれで、高等女学校しか出てないが、幼い頃から子供の私に対しては、極めてオープンマインドだった。それは戦争の話から夫婦生活の機微に至るまで首尾一貫していた。多分四肢を失い軍神と崇められ、リアカーに乗せられて市中を引き回された、“この話”も聞いたような気がする。と言うのも戦時中、村長夫人であった母は、国防婦人会長として、出征軍人への激励や、その留守家族・遺族の援護をする立場にあったからだ。
そして、私が母を最も敬愛する理由は、幼い子供の私に添い寝をしつつ、徹底的に反戦教育を施したことだ。「一番嫌いな軍人は東条英機、好きな軍人は山本五十六」だと言っていた。そしてミッドウエー海戦の結果を正直に国民に伝えなかったこと、海軍は兎も角として、陸軍は何時も戦況をごまかし、負けても「勝った勝った」と嘘をついたことを痛烈に批判していた。その思想は、若い頃左翼の闘士であった父の影響もあろう。然しその父が私に及ぼした思想的影響は、母のそれには到底及ばない。
私は思う。我々団塊の世代は、日本が高度成長の真っ只中にあった昭和40年代に成人し、それがピークに達した50年代に子供を育てた。詰り自分達が生い立った時代とは、対極的な時代背景の下で子育てをしたのである。当然ながらその頃は、子供部屋から学習机まで一人一人に与えて当然の時代だった。そしてアメリカの影響もあって、子供との添い寝などは全く時代遅れとなっていた。その子供達が今30歳代になり、子育ての真最期に差し掛かっている。
私は還暦も過ぎた今頃になって、後悔することがとても多い。母が私に寝物語で聞かせたような話を、私は子供達に全くしていないからだ。現役時代は兎に角忙しく、そんな気も余裕もなかった。然しそれで良かったのだろうか?人間は子供の頃に頭に叩き込まれた事は一生忘れないものである。だから私達の世代も、後世の人々から恨まれないよう、最低限のことはせばならない。
私の自著「親父のつぶやき」は1000部刷られたが、400冊ほど売れ残り、とうとう9月に返品して貰うことになった。私はこの自著とブログを、子孫へのささやかなプレゼントとしたいと思っている。終わり