研ぐ

「研ぐ」という言葉からは、切れなくなったり錆びたりした刃物を、砥石やヤスリでこすって、切れ味を取り戻すことを連想する。昔は今のようにサインペンはおろか、ボールペンもシャープペンシルもなく、字を書く前には先ず鉛筆を研いでいた。それに使用したのが小刀や剃刀だが、これで他人を傷付ける事故が散発したので、学校での使用が禁止となった。その後、より安全な「鉛筆削り機」や「ボールペン」が出回り、徐々に事故も減った。然し半世紀が経過した現在では“字を書くという行為”すらが一般的ではなくなり、代わりにキーボードを叩いたり、タッチパネルを触ったり、音声認識まで出て来て、文字通り別世界となった。しかしその反面では“研ぐ”と言う、とても大切な技能が失われてしまった。
私は今若い人達と農業を営んでいる。その中で“研ぐ”という作業は、とても重要な地位を占めるが、現代の若者は研いだ経験がないし、その気も無いし、出来ない。何故なら彼等が物心ついた頃、日本は既に“使い捨ての時代”になっていたからだ。農林業で頻繁に使う、鍬(クワ)、スコップ、鋸(ノコ)、鉈(ナタ)、鎌(カマ)、鋏(ハサミ)、刈払機、チェーンソー、ヘッジトリマー等々、全ての機械器具の心臓部(先端)には必ず“刃”が使用されている。刃物と言うものは“焼入れ”してあっても、使えば徐々に切れなくなる。至極当たり前のことである。そして切れない刃物を使えば、仕事の効率は悪いし、体は疲れるし、燃料は食うし、機械には無理が掛かり、傷みも早くなる。そして危険度も増すのである。
例えば刈払機、今や草刈り用として殆どの家庭に1~2台はある汎用機械となった。そしてその刃も、20年程前は焼入れをした鉄製の刃が一般的だったが、現在では殆どがステンレス円板の外周に超硬チップをロー付けしたチップソーに変わった。これは大変重宝なもので、磨耗し難い為に、鉄製の刃に比べて寿命が長い。然し永遠とは行かないのは勿論である。刈払機は草を刈る機械だが、草の下には土や石やコンクリートや金属等々、色んな物体がある。それらにチップが当たれば、当然ダメージを受ける。先端が欠けたり、丸くなったり、曲がったりする。その結果切れ味が落ち、作業仕上がりも、燃費も悪くなり、疲れも増す。私はこれを敏感に察知して、小まめに刃を交換する。然しI君が使ったチップソーなどは、信じられないことに、チップが全て脱落していたので、余程異常な使い方をしたのだろう。
問題は替え刃である。新品に交換すれば最高だが、決して安くは無い。さりとて痛んだ刃を使えば作業効率が落ちる。結論は再利用する事である。磨耗したチップの先端を、ダイヤモンド研磨機で再生する。そうすれば、新品同様の切れ味が再現して、面白いように切れる。私はこの方法でチップソーの寿命を数倍に伸ばしている。又刈払機の弱点は、その軸に草や異物が絡まることだ。そうなると作業性が落ち、トルクが増えて燃費も悪くなる。その対策に「カラマン刃」と称するアタッチメントと、軸受け保護カバーを付けている。勿論「絡まん刃」も磨耗するから研がねばならないし、軸受は定期的にグリスアップをせねばならない。
私は今日に繋がる作業ノウハウの基礎を、半導体工場の工機部門に勤務していた時代に身に着けた。今やICはエッチング(食刻)技術が一般的だが、一時代前は超硬合金の刃で切断したり曲げたりしていた。勿論これらの刃も定期的に研磨せねばならない。従って若い人々に私の技能を受け継いで欲しい。然し若い人々から見れば、ロートルの私は、教えを請う対象処か、文句ばかり言うオジンに過ぎないだろう。
私は、農業も“職人芸の一つ”だろうと思う。そもそも職人とは、気難しく、無愛想で、殻に閉じこもり、一人で黙々と仕事に打ち込むイメージが強い。なのに私が一緒に農業する人々はそれとは対極的な、明るく解放的で、アバウトな考えの人が多い。ならば、細かいことを言うのは止そう。出来栄えが悪かろうが、時間が掛かろうが、疲れようが、機械が傷もうが、要は楽しめれば良いのだ。終わり