暗黙知

暗黙知とは、ハンガリーの哲学者マイケル・ポランニーによって提示された概念で、例えば自転車の乗り方など「言葉に表せない・説明出来ない知覚」を指すらしい。言われてみれば成程と思う。もうかれこれ20年位前のことだった。私は部長指示の下、週一回の課内ミーティングの時“暗黙知”に関する資料を会議メンバーに配布していた。これが何を切欠に始まったかは記憶に無いが、とてもユニークなテーマだった。これは一種の経営学でもあり、私は当時「暗黙知の経営」と言う本を読んだ記憶もある。
そもそも知識とは、人間が遠い昔に誕生して以来、数百万年もの長い期間を通じて学び、蓄えたものだろう。大昔は学校や先生は勿論のこと、書籍や文字さえも無かったから、親が実践を通じて子孫に体得させるしかなかっただろう?それが現在では、あらゆるものがインターネット等の便利なツールを介して、誰でも何処でも手に入る時代になったが、それが知識の全てでは勿論ない。
その一 農業:私は45年振りに米作りを始めたが、この間に変わった事がある。水管理である。田圃は勿論水を貯める構造であるが、昔はジャンボタニシが居なかったので、除草が一大仕事だった。田圃の地面が高くて水上に露出した所には、雑草が生えるから除草しなければならないが、その代表がガンズメで今も我が家に残っている。ガンズメ押しは傍から見れば一見楽しそうだが、大変な力とスタミナが必要だ。然し今の田植えは機械植えが一般的で、縦横の株間が揃わず、ガンズメ押しは出来ない(手植えは同ピッチの田植え綱に沿って植えるので、縦横のガンズメ押しが可能)。処が今や、除草はジャンボタニシのお陰で楽になったが、油断すると稲も食べられてしまう。これを防ぐには浅水にしてタニシの行動力を抑えねばならない。広い田圃を地面が露出せず、さりとて深水にもならない状態に仕上げるには、巧みなトラクターワークと、人力による地道なトンボ作業が不可欠である。知人のYさんに貸している私の田圃は、今年新人が耕したので高低差がひどく、欠株が随所に目立つ。私は今年2枚(合計約一反)の田圃を平らにしようと、何度もトラクターを掛けたが遂に平坦化が出来なかった。従って水を張った状態で高低差をスケッチしておいて、来春一輪車で土の移動をしようと思う。
その二 林業:今年の初冬、私は知人のKさんと椎茸の原木を採取する為に、我が橡(クヌギ)山の竹や雑木を伐採した。これも大変な作業である。笹竹に蔓が縦横無尽に絡み付いていて、立ち入るのもままならない。先ずそれらを全て取り除いた後、雑木や真竹を伐り払い、最後に目的の橡を切り倒す手順である。私は刈払機と手鋸、チェーンソーを使って作業したが、Kさんは手斧一本で作業した。然し案の定、数日後にはスタミナが切れ、以降は私一人の仕事となった。それでも私は手伝って頂いた御礼に、橡の原木とホダ場の提供を申し出た。喜んだKさんは友人2人を連れて来て、数日間掛けて数十本の橡を伐り出した。
ここで一寸した行き違いもあった。と言うのも私は1000本近い橡の中から適当に間伐して欲しいと言った積もりだったが、山の一角が皆伐されている。彼氏が伐り易い場所の木をまとめて伐ったからだった。でも「マア良いか!」位に思っていた。然しそれだけでは済まなかった。一ヵ月後、ホダ場に行って「アッ」と驚いた。「ガラーン」としている。Kさんがホダ木を一本残らず持ち去っていたのだ。私は「シマッタ」と思った。然し既に手遅れである。仕方が無い。私はこの秋まで待って再度原木を伐り出すしかない。
私は思う。「暗黙知」とは、敢えて口に出さなくても“阿吽の呼吸”で分り合えるものだと思っていた。然しそれは大きな間違いだった。一見“えげつない”と思うような事柄でも、最初に明言すべきだったのだ。「貴方が私の山から伐り出す木は私と折半ですよ!」と。然し、それでも“言葉足らず”で今回の問題は起きたであろう。何故ならホダ場には、Kさんなりに折半した橡(の枝)が、今尚大量に放置されているからである。終わり