英語

過日のTVで楽天とユニクロの社長が、社内の公用語を英語に切り替えるとのニュースが流れていた。私はこのニュースを見て15年前のことを思い出した。当時は日本企業が海外進出に躍起になった時期で、私が勤務していた企業でも、半導体メモリーの生産拠点を世界規模で展開する為に、米国に続いて、アジア(台湾)、欧州(ドイツ)の拠点を築く為のプロジェクトが立ち上がった。私は課長を降ろされ、急遽そのプロジェクトメンバーに指名された。そして間も無く社内で準備会議が始まった。そのメンバーは、台湾提携企業の幹部とエンジニア、当社の本社幹部と営業マン、熊本工場の部課長・エンジニア等々、総勢20名位だったと記憶する。
当時の会議の公用語は「英語」だった。然し当時は、パソコンを駆使してプレゼンテーション出来る人は少なく主流はOHPだった。私は台湾企業の社員の英語力に舌を巻いた。彼らは殆ど私より一回りも若かったが、堂々と壇上に上がり、流暢な英語で延々とプレゼンテーションをした。私も装置搬入業務の責任者なので、当然プレゼンをせねばならない。然し私の英語力では、彼等に到底太刀打ち出来ない。初回は“しどろもどろ”になって恥をかいたので、以後は中身で勝負しようと、小泉流のキャッチコピーを駆使して対抗した。それが「Preparation(準備)・Safety(安全)・Clean(清潔)」だった。然し日本人と台湾人の合同会議では、やはり日本人の英語力の劣勢が顕著で、どうしても彼らのペースに巻き込まれ、日本人の出る幕は少なくなる。日常的に海外と英語でビジネスを展開している台湾企業と、海外とのコンタクトは海外営業部や商社に任せ、普段は日本人だけで仕事をしている日本企業の格差は歴然としていた。そんな中で、当時の日本人の口癖”Should be done.”(やらねばならない)だけは、不思議と今も私の脳裏に残っている。
今世界には100以上の国々があり、言語の種類も方言などを加えると、それ以上だろう。然しその中で殆どの国で通用するのは英語である。国際化が進んで国境の垣根がどんどん低くなる現状で、英語が不得手な日本人のハンデは想像以上のものがある。私はこの問題について以下のように考える。即ち日本は国土面積を除けば、世界でも有数の大国となった。従って教育についても未だに“日本語が大事”との意見が主流である。処が台湾ではそんな国粋主義的な考えは少数派で、如何に他国語(英語・日本語etc)をしゃべれるかが評価基準になっている。私が台湾時代に接したFacility(工場施設)部門の責任者などは、6ヶ国語(北京,福建,広東,高砂,英,日)を自在に駆使していた。つまり個々人の言語能力は、言わば国力に反比例するのだ。
日本は太平洋戦争後、廃墟から立ち上がり、世界第二位の経済大国にまで成った。然しその栄光も最近では陰りが差し、今後は嘗ての大国イギリスの後を追う運命にある。処が世界の中での日本語の地位は低く、言語力ではイギリスよりも遥かにハンデが大きい。そんな厳しい情勢の中で、一筋の希望は中国の存在だろう。今や中国の国力は日増しに増大し、日本ばかりかアメリカをもキャッチアップする勢いである。その中国と日本は漢字という共通の文字を使用している。私は嘗て台湾で得がたい経験をした。それはプライドの高いエンジニア連中が英語で苦労する中、私が連れて行ったテクニシャン数名は、漢字を使った筆談とゼスチャーで、台湾人と上手にコンタクトしたからだった。
この文字の共通点を生かし、日中の文化交流・人材育成を図ることが、両国の将来にとって極めて大切になる。そして私は今後の日中関係の鍵は、日本人の“心の中次第”だとも思う。日本人が敗戦をきっかけに抱いた“欧米人に対する過度の劣等感とアジア人に対する過度の優越感”の両方を捨て去り、人類皆平等の思想を持てれば、世界中の人々が日本に憧れて学びに来るだろう。終わり