懐かしい未来

首題の言葉は、現代のグローバル化社会に逆らい、ローカル化・コミュニティの再構築・伝統文化の見直しなどを通じ、持続可能な社会を目指す一種の「エコビレッジ運動」で、最近では「トラジションタウン」活動とも呼ばれ、小さなブームになっている。私は昨年6月訪英した序に、従姉夫婦と一泊二日の行程で、トラジションタウンの先進地、トットネスまで足を伸ばした。当初は、私一人で鉄道を使って行く積りだったが、私の英語力(特にヒアリング能力)の不安と、従姉夫婦の興味もあって、結局車で同行して貰うことになった。トットネスはロンドンから東に高速道路経由で約5時間、その昔メイフラワー号が新大陸に出発した港「プリマス」にほど近い、坂道の多い小さな田舎町だった。
私達3人は川の畔に車を停めて、1~2時間街中を散歩した。当初はトラジションタウンと聞き、一体どんな町だろうとの期待もあったが、一見何の変哲もない小さな港町に過ぎず、それらしい光景は、川の畔にあった古い“水車小屋”位しか見つけることが出来なかった。私達は遥々遠くの町まで来たので、辺りを散策しつつ、彼方此方でトラジションタウンについて質問した。処が殆どの人が「そんな所は知らない!」と応える。何人目かの人がやっと教えてくれたその場所は、パソコンと沢山の本が置かれた小さな店の奥の、狭くて暗い2階の一室だった。然も当日は生憎日曜日で責任者は不在。留守番の女性が、そこらに置いてあるパンフレットを適当にまとめて渡してくれた。私達は仕方ないので、町を散歩して壊れかけた古城や、伝統的な住宅街の写真を撮り、坂の途中にあった食品店に立ち寄り、私はパーマカルチャーの友人に、シリアルをお土産に買い、歩き疲れたのでレストランで早目の夕食を摂った。
然しその日、トットネス郊外に予約していたB&B(Bed and Breakfast の略語で朝食付きの宿舎、イギリスの田舎ではホテルよりも人気)は私の予想以上だった。ロンドンシティーも勿論素晴らしいが、イギリスの田舎は正に絶景である。低い陸が遥か彼方までうねり、広大な牧場の中では数百頭の牛がのどかに草を食んでいる。そして今では人が住まなくなった見事な藁葺屋根の住宅を、公園として大切に保存してある。私は何時までも日が暮れない夕刻の1~2時間、辺りを散歩しながら夢中でカメラのシャッターを切った。
その夜宿泊したB&Bは、我等と同年代の老夫婦と子供が2人、父と息子は牧畜、娘は勤めで、老婦人がB&Bの主だった。建物は自宅兼用のレンガ造りの一部3階建てで、3ベッドルーム、2バスルーム仕様。私達はその内の2室を借りて宿泊した。私の宿泊室はダブルベッド。その数日前に行ったパリの安ホテルとは別世界のような、素敵な飾り付けの寝室だった。そして翌朝の食事は、ホストのご夫人が腕によりをかけたご馳走の数々。私はイギリス料理は不味いとの先入観を持っていたが、乳製品をふんだんに取り入れた朝食はとても美味しかった。
このように、態々遠いトットネスまで足を伸ばしたのは、パーマカルチャーの先進地を視察して、帰国後日本の皆さんに報告するのが目的だった。然し私が積極的に発表の場を求めなかったこともあって、その機会も逸し、資料も何所かに散逸してしまった。私は思う。そもそも「懐かしい○○」と言う表現自体、実体験した人にのみ当てはまる言葉であって、高度成長期以降の「豊かな日本」で成長した若い世代には所詮バーチャルの世界でしかない。そして私は、昭和30年代前半までの所謂“エネルギー革命以前の日常生活”を「夏暑し」「冬寒し」「家暗し」「仕事辛し」「時永し」等々否定語では語れども「懐かしい」等と言う形容詞で語ることなど、到底出来ないのである。終わり