農地デフレ

第二次大戦後長年の間、世界は米国を盟主とする自由主義陣営と、ソ連を盟主とする共産主義陣営とに割れて厳しく対立した。当時はこれを“冷たい戦争”と呼んでいた。現在世界的な懸案になっている核兵器の拡散防止も、元はと言えば無為な競争をした米露の責任である。そして冷戦当時、両者の最大の相違点は農地の保有制度にあった。即ち前者は個人保有が原則、後者は国家保有(ソフォーズ)又は集団保有(コルホーズ)が原則だった。勿論日本は自由主義陣営に属し、個人保有が原則である。
農地というものは、耕作しなければ荒れる。作れない人は作りたい人に貸すか売るべきである。処が多くの日本人は今も、土地は“先祖伝来の財産”との考えが強く、中々手放さないので流動化しない。私は退職後農業を始めて6年、色んな気付きがあった。我家は農地解放で大半の農地を失ったが、今でも幾らかは田畑が残っている。その全てを自分で耕作出来ないので、何人かに貸している。他方我家の目の前にある叔母所有の広い土地が有効利用されていなかったので、空家になっていた古民家を解体して貰い、数年前に跡地を年間1万円で借用した。決して安くは無い地代である。
ところが今年、私が同規模の畑を貸している一人から、借地料の値下げ要求が来た。2年前に五千円を三千円に値下げしたのに、今年から千円にして欲しいと言うのだ。その理由は柿や栗の枝が日照を遮るかららしい。「荒れないようにして遣る!」との「御言葉」まで付いた。私は一方的な要求に驚き「そこまで仰るなら返して下さい」と喉元まで出たが、グッと言葉を飲み込んだ。それ処か数年間土地代を持って来ない人も居るのである。別の或る人は、昨年たったの五百円の地代を払いに来た上、私に文句を言った。私が「畑の横の土手に除草剤を撒いたから、野菜に悪い」と言うのだ。私は丁重にお詫びを言って、その土地を返して貰った。ぼうぼうと茂る土手の草を刈るには、どうしてもその畑に入らねば出来ないので、已む無くしたのだった。
今私はパーマカルチャーの仲間と、地元の農家から田畑を借りて農業をしている。勿論我家の農地も、彼等に貸している。然し、昔も今も借地は簡単ではない。どんなに荒れた土地でも、地主にとっては財産であることに変わりは無く、見ず知らずの人には先ず貸さない。だから私が間に入り、信用をして貰うしかない。そして借地を申し出るからには、頭を下げてお願いした上に、それ相応の地代を払わねばならない。それを受け取られない奇特な地主さんには、ささやかな御礼もしている。昨年と今年は、11月末パーマカルチャー九州主催で、地主さんを招待して感謝祭を催したが、皆さんとても喜んで下さった。
私は思う。今や借り手がどんどん強くなる一方で、地主がこんな不愉快な想いをする位なら、私は貸している田畑を全て取り戻し、借りている田畑を全て返却したい。そうして自分の所有地で農業を営めば、貸借の煩わしさもなく、目の前にある農地で堂々と農業が出来るので、どんなに気持ち良かろう。それなのに私は、一体何時からこんな“変な農業形態”にしてしまったのだろうか?
鳩山総理!今石貫では恐ろしい農地デフレが進行中です。何とか止めて下さい。おわり