取掛かり

「取掛り」とは何かに取り掛かること、即ち着手することを指す。何事も始まりがあるから終わりがある。始まりがなければ終わりもない。始まりと終わりは一対のものである。この世には、物事を始めるのが得意な人も居れば、終えるのが得意な人も居る。私はどちらかといえば後者に属すると思う。
特に中学・高校時代は勉強が嫌いで、ついつい始める時間を先延ばしした挙句、幾らもしない内に眠気が襲って来て、飯台に突伏たり、畳に仰向けになって、寝込んでしまうが多かった。特に冬場は木炭使用の掘り炬燵で勉強していたが、私は態々横になる為の板まで用意して、眠気に襲われると中にもぐって寝た。然し火が消えて寒くなった夜中に目が覚めても、もうその時は意識が朦朧としていて、再び勉強する気にはなれない。そしてとうとう本式に布団に入って寝てしまうのだ。これではちっとも勉強は捗らない。だから高校一年の後半から成績は一気に急降下、全校ベストテン以内から、二年の時には50番以下に転落してしまった。相撲で言えば三役から十両まで陥落したようなものである。(注.成績が公表されるのは上位60番位まで)
のんびり屋だった私も、流石にその時点で「これではいけない!」と一念発起、帰宅後早めに食事を済ませて1~2時間仮眠、20時頃起き出して深夜まで勉強する方法に切り替えたら、徐々に成績が向上した。これは旺文社の大学受験ラジオ講座を欠かさず聴いたことも大きいが、私は眠気との戦いに勝ったことが主因だと思っている。
当時を思い起こせば、取り掛りの重要性にも気付く。人間“しんどいこと”に着手するのは、誰でも気が進まないものである。例えば毎日の食事を億劫に感じないのは、空腹を覚える為もあるが、しんどくないし、“習い性”になっていることが大きい。それに引き換え、労働や勉強を習い性にするのはとても難しい。
今の私もそうである。夏になると暑さを理由に仕事をサボり、冬になると寒さを理由に仕事をサボる。然し敢えて比較すると冬場が良い。どんなに寒くても、しっかり着込んで外に出て働けば、体は温まって寒さを感じなくなる。それどころか体が温まるに連れて、寒さが心地良くすら感じるようになる。然し問題は夏場である。寒さは労働でカバー出来るが、暑さは労働で更にひどくなる。夏場の典型的な作業は屋敷や田畑、道端や山林の下草刈である。出来れば毎月、最低でも二ヶ月に一回は刈らねばならない。だから私は主に早朝と夕刻に作業する。腰に蚊取り線香をぶら下げて、首にはタオルを巻き、長袖長ズボンに長靴、そして麦藁帽子がお得意のいでたちである。然しどんなに頑張っても2~3時間が限度である。終わりの頃は、全身汗まみれ!喉はカラカラ!一刻も早くずぶ濡れの衣服を脱ぎ捨て、シャワーを浴びて冷たい水をゴクリ!何とも言えない爽快な瞬間である。
私はこの夏の辛い仕事を出来るだけ減らす方法はないかと、先月の英国旅行中も考えていた。英国は日本とは気象条件が異なるが、それでも夏場は日照時間が長いので、草の生長は日本同様に著しい。然し日本と違い、国土が平坦である。そして何処にも大木が多く樹間も広い。その周りを大型の芝刈機が頻繁に巡回して、芝生の草を刈っている。それに引き換え、我家の周辺は起伏が大きい上に石などの異物も多く、芝刈機は向かない。やはり刈払機に頼るしかない。しかも成長途上の木々が多い為に、枝打ちや間伐も不可欠である。英国の公園のような大木が欲しい私は、狙いを桜・銀杏(イチョウ)・椋(ムク)・柳・櫨(ハゼ)の5種に絞った。これらは何れも成長が早く、冬場に葉を落す落葉樹である。
私は思う。今地球は温暖化の進行が止まらないのに、先のサミットでも先進国と発展途上国との溝が最後まで埋まらなかった。従って今後も、特に夏の暑さは益々過酷になるだろう。この一番の対策は、家を大木で取り囲み、夏の直射日光を遮ることだ。然し問題もある。雨樋の詰りである。落ち葉が樋に詰れば雨水が捌けないので、誰かが取り除かねばならない。然し私は、こんな高所作業は後10年位しか出来ないだろう。その頃は40歳になる息子に戻って来て欲しい。そんな事を一人考えているこの頃でもある。終わり