英国

私は今年の6月20日から10日間英国を訪問した。その途中フランスに2日間旅行したので、正確には8日間ほど英国に滞在したことになる。その間の多くの時間を従兄姉のお世話になり、ロンドンを主体に各地へ案内して頂いた。私は数ある名所旧跡にも興味は有ったが、それよりも英国人そのものに興味を覚えた。その昔、英国は世界中に植民地を持ち、日が沈むことのなかった大英帝国であり、産業革命を世界で初めて成し遂げた国であり、米国と共に江戸幕府をして開国せしめた国であり、何よりも世界共通語たる英語の母国である。そのステータスの高さは、日常会話のみならず、殆どの歌詞が英語であることや、デンマーク人のwwooferやフィンランド人の元部下が、私がどんなに促しても(恥ずかしがって)自国語を喋ろうとしなかったことでも明瞭である。丁度私が静岡に就職して、熊本弁を封印したのに良く似ている。要するに欧米では英語を標準語とすれば、フランス語やドイツ語でも関西弁や東北弁程度、その他の言語に至ってはそれ以下なのだ。それにしても、日本の本州程の面積で、人口も日本の半分程しかなく、大陸から離れた高緯度に位置する小さな島国が、何故このように世界的な地位を獲得したのか?
そのⅠ:気候は冷涼湿潤な上、地勢が平坦で農業に向き、食料自給率が高い。(特にイングランド)
そのⅡ:島国なので、守り易い一方で、陸軍は攻め難い。(ナポレオン戦争・第一・二次世界大戦)
そのⅢ:ヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカ、スエズ運河経由でアジアへの海運が便利である。
そのⅣ:各種の法律や規格を制定し、民主主義の政治体制を確立し、世界各国に普及した。
これらを成し遂げた人種は、大陸から移住したアングロサクソン人である。然しそれが何故、フランス人でもドイツ人でもイタリア人でもスペイン人でもなかったのか?この解は今私にはない。それでも今回の旅で幾つかの驚きがあった。英国民は白人が殆どだと思っていたが、事実は全く異なり、米国と同じく世界中からの移民が混住する多民族国家である。当然このことは、国家運営に関して様々な問題と困難を惹起し、大きな負担を強いられるに違いない。然し単一民族の日本と違い、異質のものが接触した場合にのみ起きる大きな可能性を秘めている。
もう一つは、その政治・経済システムである。車は左、人は右。鉄道も郵便も、船舶も、政治体制も、それこそ何もかも、日本には英国から導入したシステムがとても多い。然し日英の相違点も勿論沢山目に付いた。
そのⅠ:都市計画。英国は緑がとても多くロンドンも然り。東京では街の中に公園が在るが、ロンドンでは公園の中に街がある。従姉の家の前も公園で、毎朝一周すると2km位のジョギングが出来た。
そのⅡ:建造物。古い建物や施設を大切に保存している。東京ではスクラップ&ビルドで始終建替えているが、ロンドンでは、数百年前の建造物がそこら中に溢れている。
そのⅢ:大学。ケンブリッジにバス旅行したが、風光明媚な田舎町で世界中から来た俊英と、宗教を含めて自由闊達に学ぶ環境が備わっている。因みにケンブリッジ大卒のノーベル賞受賞者は31人とか。大学内の博物館には、世界中から収集した動植物の標本が、ところ狭ましと並んでいた。
そのⅣ:住宅。地震のない国なので、石(レンガ)造りの家が大半。築年数が古くなっても資産価値が殆ど落ちない。室内のみをリニューアルして賃貸や売買するのが一般的で、日本のように20~30年で建替えるシステムより遥かに合理的である。
そのⅤ:交通。国中に道路・鉄道網が引かれ、空港もロンドン郊外に5つもあり、世界中に行ける。又鉄道やバスにはワンデー(1日)チケットがあり、料金を気にせず乗り放題が出来る。
然し、以上の事柄だけで英国が世界標準になれたとはいえない。私は英国民の心の中にその鍵が秘められているように思った。彼等は自国の規模と発展性、そして限界を早くから自覚していたに違いない。日本人が農地不足から個人の移民と言う形で、中南米に渡って成功したのとは違って、国家の意思で海外進出し、その仕組み、即ち政治経済社会システムを世界中に広めた。これは発想の違い、或いはスケールの違いと言うしかないだろう。恐れ入りました。終わり