エコビレッジ

ガンと言う言葉には大きく分けて二つの意味がある。一つは日本人の最大死因ともなっているガンである。昔は結核が日本人の死因のトップだった。私の父も若い頃は肺結核(肋膜)を患い、後年は下顎ガンを患ったとも聞いたが、何れも克服して酒も煙草も嗜んでいた。52歳で亡くなったが、死因はガンではなかった。一方母は若い頃から極度にガンを恐れていたが、死因は高血圧に起因する急性腎不全で、やはりガンではなかった。
先日、私より一回りも若い知人が亡くなった。死因は多発性骨髄腫、即ち血液のガン白血病だった。私の叔父も肺ガンで亡くなったが、生前は片時も煙草を離さないヘビースモーカーだった。そういえば東大出にはヘビースモーカーが多いように思う。私の叔父、中学時代の塾のT先生、三菱電機時代の課長仲間で後の中国工場長N氏、そして今回のパーマカルチャーの受講生Iさんである。Iさんは暇さえあればパートナーと一緒に、藤棚の下のベンチでプカプカやっていた。私も18歳から煙草を始め、途中何度も禁煙したが長続きせず、とうとう60歳まで吸い続けた。今までの人生の2/3は喫煙していたことになる。だから今でも横でスパスパ吸われると、やはり煙草が欲しくなる。
ガンにはもう一つ別の意味がある。それは“障害”と言う意味である。今私にとってのガンは、私自身のエゴである。私は自分をエゴイストだと思っている。“エコ”の最たるパーマカルチャーを誘致した私が“エゴ”とは駄洒落にもならないが!エゴは誰にでもある“自我”又は“自愛”と言っても良いだろう。エゴを悪と捉えるなら、家族を愛する気持も悪となる。然し人間社会において、そもそもエゴのない世界が存在するだろうか?私はないと思う。問題はエゴそのものではなく、その中身である。即ち自分だけ良ければ良いと言う狭量のエゴから、某宗教団体の教祖の様に、地球は家族とか、世界は一つとか、途轍もないスケールの思想まである。私のエゴは所謂“地域エゴ”なのだ。
会社人間が退職して帰属する社会は様々だが、一般的なのは地域への回帰だろう。私も6年前に早期退職して40年振りに故郷“石貫”へ再デビューした。従って愛社精神はそっくり“愛石貫精神”と成った。パーマカルチャーを我家で始めたのも、石貫を“エコビレッジ”にするためである。それを実現する為の最良の手段は、若者に来てもらい、定住し、結婚し、子供を育て、農業をして頂くことである。然しパーマカルチャーリストには何故かコスモポリタンが多い。私のようなエゴイストはコスモポリタンが苦手である。この原因は、企業での34年間に加えて退職後の“地域づくり活動”にもあると思う。何れの場合も競争原理が働いていた。前者のライバルは同業他社であり、後者のライバルは近隣校区だった。ライバルが居るからファイトが沸く。“皆でお手手つないで”には中々なれない。私は所詮その程度の人間である。
そんな私は今とことん“石貫”にこだわっている。人間どんなにあがいても、100年は生きられない。精々頑張って80年だろう。然も社会的活動は70歳までとなれば、62歳の私にはもう10年も残っていない。逆立ちしても世界を変える事など出来っこない。然し対象を限定すれば話は変わる。私は自分の活動エリアを決めた。石貫の北半分、我家を南側基点とした6㎢程度の小さな半円のエリアである。この位の範囲であれば、私の力でも少しは変えられるかも知れない。ひょっとしたらささやかなエコビレッジが出来るかもしれない。私はこのエリアの多くの人々と顔馴染なのだ。だから田畑も古民家もこの範囲で借り、それ以上は拡げない。何故なら農業はトラブル・アクシデントが避けられず、頻繁に見廻り(パーマカルチャー用語では“観察”となっている)せねばならないからだ。コスモポリタンのパーマカルチャーリストの皆さん、私の気持をどうか理解して下さい!終わり