ブルートレイン

私は昭和44年に就職してから、14年間を静岡と和歌山で暮した。職場が設計部門だったこともあり、頻繁に出張があった。又盆暮れや春の連休には、母が一人で暮す熊本に帰省した。今や出張や旅行に飛行機を利用するのは、ごく一般的になったが、私は海外旅行の時など、狭い機内で寝るのが苦手である。然しその当時は出張で飛行機を利用するには特別の許可が必要で、通常は列車(含む新幹線)を利用していた。然し新幹線は、東京・新大阪間のみしか開通していなかったので、東海道を越えた地域に出張するには在来線を利用するか、高速バスなどに頼るしかなかった。私はその多くの場合に、寝台特急ブルートレイン(通称ブルトレ)を利用した。特に九州や東北への出張や帰省の時は、大抵ブルトレを利用した。出張は昼間の仕事であり、前日の夕刻出発して朝朝到着するブルトレは、時間とホテル代の節約にもなった。然し仙台到着などは早朝なので、始業までの時間を潰すのに格好のサウナ風呂が駅前にあった。又、今のブルトレは2段ベッドだが、当時は3段式だった。私は安くてプライバシーが守れる上段を好んだ。然し上段のスペースは列車の屋根裏に当たり、狭くてとても窮屈である。特にそこでパジャマ等に着替えるのは、とても大変だった。又車輌構造上、停車時やカーブを曲がる時の揺れや衝撃も大きく、途中停車や発車時に目が覚めてしまう。
然しブルトレにはそれらを超える数々の魅力があった。途中の停車駅では何人もの駅弁売りが声を張り上げていたし、色んな車内販売も廻って来た。その上ブルトレには食堂専用車も連結されていて、ちゃんとした食事も食べられたし、アルコールも飲めた。又、夜になるとベッド作りに、朝になるとベッド上げに係員が廻って来る。ホテルと全く同じである。当時私は、通路側にある折りたたみ式の簡易座席に座って、窓外の景色を眺めるのがお気に入りだった。特に眠れない夜などは、長い間ぼんやりと窓を流れる夜景を眺めていた。その内に他の乗客が来て、互いにとりとめもない話が始まる。
線路が直線に近い今の新幹線は、とてもトンネルが多い上にスピードが速すぎて、外の景色は詰らない。然しブルトレが走る在来線の沿線は、日本の大動脈に当たり、目まぐるしく変わる外の景色を眺めていると、何時までたっても飽きなかった。それに在来線の線路は急カーブが多く、先頭を引っ張る機関車が、窓から良く見えた。当初のブルトレはSL(蒸気機関車)が引っ張っていたように記憶している。数名の乗客が、向い合わせのゆったりとした座席に座って旅することは、他の交通手段では中々起き得ない。これがブルトレの最大の魅力だと言っても良いだろう。
その懐かしのブルトレが、先日の熊本発東京行き“はやぶさ”を最後に、全て現役を引退してしまった。ラストランの模様は、テレビでも大きく報道されたが、私にとってのブルトレの原点は、一世を風靡したショーンコネリー扮するジェームスボンド主演の「007シリーズの最高傑作“ロシアより愛をこめて”」かもしれない。名曲をバックに、旧ユーゴスラビアのベオグラードからザグレブ間をひた走るオリエント急行のコンパートメントの中で、ボンドが敵役のスパイと格闘し、美女と抱擁する名場面が脳裏にまざまざと浮かぶ。今時間を戻せるのなら、私もコンパートメント(一等客室)に、一度で良いから乗って見たかった。終わり