肯定と否定

私が首題の言葉の意味をはっきりと自覚したのは、確か中学に進学して英語の授業が始まった時期ではなかったかと記憶している。英語は日本語と異なり、肯定・否定がはっきりとしている。詰りYes・No何れかのデジタルに近い世界だと思えば良い。これに較べて日本語は極めて曖昧である。詰りYesとNoの間に、そのどちらでもない曖昧領域が存在すると言っても過言ではない。
そんな日本で生まれた私だが、我家は長らく母子家庭だったので、母の影響を特に強く受けた。母の日常会話には否定語がとても多かった。例えば水辺には行くな。危ない遊びはするな。お金がない。気分が悪い。眠れない。酒呑みは嫌い。将来が不安等々。毎日毎日否定語を聞かされると、頭が自然に否定的反応をする様になり、ついつい悪い事を考えてしまう。
一方、私の社会人時代の最初の上司M氏は、母とは逆にとても肯定的な人だった。私の静岡勤務の12年間、直接・間接の違いはあっても、M氏はずっと上司であり続けたが、私は一度も「やめろ」とか「ダメだ」とか「いけない」とか言われた記憶がない。当時私の設計は遅々として進まず、発売スケジュールは遅れに遅れ、ようやく発売しても全く売れず、やっと売れたと思ったら、今度はクレームが多発、そんな悲観的な状況にあっても、M氏はいつも明るい声で「思い切って遣りなさい」と私の背中を“ポーン”と押された。
他方、同社最後の上司H氏は、M氏とは逆にとても否定的な人だった。私はH氏の部屋に追加予算の申請に行く度に、立たされたままで延々と叱られた。その主原因は市場クレームだった。当時の製品は、心臓部を海外(ドイツ)からの輸入に頼り、製品は海外(台湾)に輸出していたが、言葉や文化の違いに加えて時差もあり、迅速・的確な対応は非常に困難だった。それに俄か作りの組織体制では、設計製造までは何とか出来ても、販売やアフターサービスまでは手が廻らない。H氏は無理を承知で外販ビジネスに手を出しながら、上手く行かないと私に否定語をぶつけられた。
肯定語と否定語、典型的な対語だが、人の性格をよく反映するバロメータでもある。私は最近、この言葉の語源について興味を持っている。それは孫娘が発する「お爺ちゃん大好き!」「お爺ちゃん大嫌い!」を繰り返し何度も聞かされたからである。4歳児の孫娘が発する「好き」と「嫌い」は、差し詰めM氏とH氏に置き換えても良かろう。一人の孫娘が一人の私に、或る時は「大好き」と言い、或る時は「大嫌い」と言う。ひょっとすると、孫娘は将来私の上司になるかも知れない。