日豪比較論

何だか難しい標題になっているが、何と言う事はない。2009年の1月、私はオーストラリアに2週間の旅行をした。切欠はパーマカルチャーツアーの序に、その前の1週間、長女の所にお邪魔したのである。
出発を一日早めて、先ず長男の住む東京に一泊し、翌日は夜の出発までの時間を利用して“はとバス”にて東京観光と相成った。乗車場所は丸の内北側、若かりし頃、三菱電機本社出張時に何度も通った場所である。流暢なガイドの案内で最初に立ち寄ったのは、皇居前広場であった。ベンチに路上生活者が何人も寝ていたのが印象的で、二重橋の前で集合写真を撮られた。その後数箇所を周遊したが、印象的だったのは靖国神社、戦没者を祀るだけあって格式と雰囲気が違う。小泉元首相の参拝が国際問題になったことを思い浮かべつつ、時間一杯拝殿前に佇んだ。この他で良かったのは浅草泉岳寺位、六本木ヒルズやフジテレビ本社等など、若者好みの場所かも知れないが、私には退屈だった。
その夜遅く成田を発った。出発に際しては大きなトラブルがあった。ビザの取得洩れである。旅行会社に任せ切りだったのが原因。チェックイン時間が迫る中、カンタス航空窓口の女性が駆け回って取ってくれた。パースに行きたいらしく、私に色々質問しながら。そして搭乗が遅れた所為でエコノミーは満席、ラッキーにもビジネスクラスに滑り込んだ。最前列の1-B席である。この席は多分政治家とか高級官僚とかが、急遽申し込む為に予め空けてある席に違いない。処が機内サービスは全く期待外れ、年配の客室乗務員は無愛想。注文した日本食など解凍不十分で、とても口に入らない。翌朝朝早くパース空港に到着、娘一家が迎えに来ていた。2000年末の長女の結婚式以来、8年振りのオーストラリアだった。
パースの長女の家には一週間滞在した。長女夫婦は一週間の休暇を取り、私を彼方此方に案内した。毎日パース近郊の公園や隣の港町フリーマントルの刑務所、その沖合のロッドネス島などなど、日替わりメニューでもてなして呉れた。それと一番嬉しかったのは、娘一家が仲睦まじく、子供達即ち私の孫二人が直ぐに懐いてくれたことだ。お陰で一週間、私は思いっ切り孫達とスキンシップをすることが出来た。娘婿のご両親からも招待を受けてご馳走になった。或る日は私が一人で娘婿の自転車を駆り、パースの市内へとサイクリングに出かけた。そして一通り市内観光をして自宅に戻ろうとしたが、道が分からない。通行人に何度も聞いたが分からず、とうとう娘婿に車で迎えに来て貰った。“行きは良い良い帰りは恐い”地図を持参しなかったのがミスだった。
日本とオーストラリアの違い、北半球と南半球、島国と大陸、過密と過疎、夏と冬、湿潤と乾燥、黄色人種と白色人種、米とパン、魚好きと肉好き、交差点とロータリー等々、数え上げれば限がないが、共通点も又多い。時差がない(少ない)、車は左・人は右、高層ビル、アパート・マンション建設ブーム、肥満防止のエクササイズ、清潔好き、ペット同伴等々。
両国の違いはプラスかマイナスか?答はプラスである。夏が好きなら日本の冬季に、冬が好きなら夏季に行けば良い。私もパースとブリスベーンで泳ぐことが出来た。夏の時期、北海道にスキーツアーに来るオーストラリア人の気持が良く分かる。こんなことは日本と米国ではちと難しい。それにオーストラリアは米国と違い、ガンコントロール(銃砲規制)が厳しく、街中でもピストルを下げた警官やガードマンには全くお目に掛からなかった。又、年配者が生き生きと人生をエンジョーイしている。退職者が大半であろうが、実に多くの老若男女が広大な公園を散歩・ジョギング・自転車で動き回っている。
今回長女から一つの提案があった。「老後はオーストラリアに住まないか?」と。思いがけなかったが、気候が温暖で晴天が多い上、治安が良くて暮らし易いパースは、老後の住まいとしては理想的である。私は現在62歳。あと10年位は日本で頑張り、その後自宅は子供に任せて、家内共々オーストラリアで余生を送りたいと夢見ている。終わり