パーマカルチャーⅠ

10年位前のこと、玉名郡菊水町(現和水町)の肥後民家村で開催された或るイベントに参加したのが、パーマカルチャーと私の出会いだった。その後東京在住の息子が転職で悩んでいた時には、私がパーマカルチャーセンタージャパン(神奈川県藤野町)主催のスクール受講を勧めたところ、息子はとても気に入り、同代表のS氏からホームページの制作依頼なども受けていた。
 そして2007年初夏、私が60年間の自分史をまとめた自費出版「親父のつぶやき」(文芸社刊)を脱稿した頃だった。玉名市のオーガニックレストランで、私が何気なくパーマカルチャー九州代表のM氏につぶやいた「庄屋に来ませんか?」の一言が、その後の私の運命を激変させる切欠になった。M氏が代表を務めるパーマカルチャー九州は、当時常設の活動拠点を探していたのだった。その後間もなく、S氏とM氏が我家に来られ、私もセンタージャパンを訪れ、とんとん拍子に九州の活動拠点をわが家の農場「ファームステーション庄屋」にという話になった。それからの一年半はあっと言う間だった。2008年のパーマカルチャー講座は、3月から12月までの10回コースで、九州一円から集まった20名近くの人々が、一泊二日で理論体系や畑造りなどの実践を学んだ。その多くは若者で、高学歴で、都会に住みつつも、田舎に憧れている。この動きは、高齢化が進み、後継者難に苦しむ田舎にとっては、願ってもない将来の担い手と言えるのではないだろうか。
 パーマカルチャーとはPermanent(永続的な)とAgriculture(農業)を組合せた造語で、1970年代にオーストラリアで始まった、農業を含む新しい生活様式のことを指す。私がパーマカルチャーに惹かれるのは、自分の子供時代の生活の仕方とイメージがぴったりと合うからだ。昔は人が日常的に家畜と同居し、草木や土と触れ合う農業だった。今は化学肥料・農薬漬けの慣行農法が一般的で、機械化が進み、土建業に近い気がする。パーマカルチャーはその対極に位置する農法と言える。有機無農薬と言う点では、私がこれまで実践してきた農法と同じだが、その考え方は独特である。
一泊二日のパーマカルチャー講座では、用地・建造物・菜園・果樹園・農場内森林などの成立ちや仕組みを学び、毎回それに関連する実習がある。例えば菜園については、講師の指導の下、皆で力を合わせ、我が庄屋の前に、マンダラガーデンとロックスパイラルガーデン、キーホールガーデンを造った。何れも円形で竹や木や石で立体的に区画され、様々な種類の野菜や、ハーブ、それに雑草が混在している。従ってむやみに雑草を抜いたり、虫を殺したり肥料を施してはいけない。都会に住み、ほんの狭い庭や畑しかない人でも、アパートやマンション住まいの人でも、容易に実践出来る、環境に優しい農法なのだ。
昨夏は、これらの正課だけでは飽き足らない数名の有志から、米造りをしたいとの希望が出たので、数枚の田圃を借りて米作りに挑戦した。又、昨春特別講師で招いた椎葉くに子さんの話に触発されて、畑を借りて蕎麦栽培にも挑戦した。そして次は玉名市の環境団体からの要請でナタネ作りと、止まるところがない。然しこれは、地元の方が快く農地を貸して下さったお陰である。年末には、お世話になった方々を招いての収穫祭も実施したところ、ある人から「玄米があれほど美味しいとは知らなかった」と喜びの言葉を頂いた。域外から来た人々が室内に篭って勉強するだけでは、地元の人々との距離は離れたままで、誤解すら生まれ兼ねない。然し、一旦フィールドに出て汗を流せば、両者はたちどころに打ち解けた関係になる。私はこの課外授業こそ、将来のエコビレッジ建設の夢につながるように思う。
パーマカルチャーの先進地、ニュージーランドのレインボーバレーファームを紹介したDVDは、何度見ても見飽きない。勿論、広い土地を自由にデザイン出来る外国と日本では、大きく状況が異なる。然し多数の横穴古墳が存在し、古代から人類が生活してきた玉名市石貫には、諸外国に勝る資源、豊かな山林と清らかな河川と肥沃な田畑が、開発で傷つきつつも未だ幾らかは残っている。これらの資源を保全し、持続可能な農業を営むことが、これからも人類が永続的に生存する必要条件だと思う。今や都市住民は、生存に不可欠の水や食糧、エネルギーの殆どを、域外に依存しなければ一日たりとも生きられなくなった。このことの危うさにいち早く気付いた人々が、今パーマカルチャーを学習し、実践し始めている。今夏には関東から数名の男女が、態々九州まで居住地探しに来られた。今後の課題は、これらの人々に古民家を紹介し、田舎で生業を営める環境を整備する事である。その第一弾として、時代遅れのISDN環境にある石貫・三ツ川地区にもブロードバンド(ADSL)を整備して頂くべく、先頃玉名市長宛に3度目の陳情書を提出したところ、今年度の補正予算でNTTへの助成が決った。時代を変革する人々は、何時の世でも最初は極めて少数である。地球温暖化が進み、エネルギーや資材価格が高騰して農業環境が悪くなるにつれ、パーマカルチャーを実践する人々は、今後徐々に増えるだろう。私は残された人生をパーマカルチャーに託し、志を持つ若者を玉名市に誘致し、共に喜びや苦しみを分かち合いたいと思う。そしてそのことが、未だ幼少の最愛の孫に残せる最大の遺産だと思う。終り