TVレス

あれはもう20年程前のことである。我家の子供達は当時、長女が高校生、次女が中学生、長男が小学高学年で、所謂受験時代の幕開きの頃だった。当時も私が会社から帰宅するのは、毎日夜の9時半頃で、遅い夕食を済ませて暫くの間、居間で寛ぐのが日課だった。然しその時刻になっても、子供達は毎日居間でテレビを見ていた。私は何度も長女に言った。「もう2階に行って勉強しなさい」と。私は子供を叱る場合、常に長女をターゲットにした。下の二人にはそれを見せれば十分と思ったからだ。私はそんな毎日を繰り返した後のある夜、遂に堪忍袋の緒が切れた。「そんなにTVばかり視るなら、今後我家からTVを無くす」と。それは私の“突然の決断”で、深く考えた訳ではなかったが、宣言したからには最早後には引けなくなった。私はその数日後、本当に居間からTVを撤去し、家内の実家に預けた。そしてあのNHKの受診契約も解除した。普通なら当時、家内や子供達から轟々たる反対が巻き起こっても不思議でないのに、私の決断が余りに唐突だったので、皆あっけに取られたのだろう。
それから長男が高校を卒業するまでの6~7年間、我家にはTVが無い時代が訪れた。従って、居間で寛ぐにしても、ラジオを聴くか、本や新聞を読むか、家族で談話をするかしかない。今や当時の記憶は薄らいでしまったが、この事は色んな意味で画期的だったと思っている。先ず、我家を訪れる人々が(TVレスに)驚いた。常識で考えれば、私達は毎日膨大な情報をTVから得ているように思われるが、実際はそうでもない。新聞を読み、ラジオを聴き、外出すれば、左程他人に遅れを取るほどの事にはならない。私はその数年間、社会人として特に恥をかいた事も無かったし、日常生活で不都合が起きた記憶も無い。一方子供達は学校で、友達とTV番組に付いての話が出来ず、困ったと言っていたが、それとて友情に差し障る程の問題だったとも思わない。一方得た事も幾つかあった。私には読書の習慣が復活したし、長女もそれに習い本を読むようになった。私の書斎に眠る蔵書の多くは、じつはこの数年間に読んだものである。資格も幾つか取得した。ゴルフの腕も少しは上がった。パソコンもマスターした。
そんな生活スタイルに終わりが来たのは、長男が高校を卒業した年である。それまでの数年間は特に長男には酷とも思えた。勉強嫌いの姉のお陰で、小学生から高校生に至る長期間、TVレス生活を強いられたからである。その影響か反作用か、長男は映像に興味を持ち、後にデザインの道へと進むことになった。今、東京在住の長男の部屋には、大型スクリーンが架かり、プロジェクタ投影で映画館さながらの映像を堪能出来る。
私は思う。自分達は居間で寛ぎながら、子供に「勉強しろ」と言うのは、親として聊か説得力に欠けると。勿論親子は立場が違うので、それ位の事は当たり前と言えなくも無いが、子供は理屈だけでは納得しない。その証拠に私の母は、私が高校を卒業するまでTVを買って呉れなかった。私はそのお陰で浪人もせず、大学に進学出来たのかもしれない。又、我が娘二人が浪人もせずに大学進学したのは、私の“英断”のお蔭だったのかも知れない。終わり