ベンチャー企業(その三)

T君は私と大学の同期生、当時は地場中小企業の経営者であった。彼氏にその事を話すと、二つ返事で引き受けると言う。私はその時“神の助け”だと思った。そしてT先生と、私の同期生のK君(T先生の教え子、当時は先生の相談役的存在)が立会者になって3者会議を開き、N社の後継企業として、T君が経営するA社を充てることにした。A社は、N社と違って部品加工のみならず、組み立てから調整販売までをしたいと申し出た。私は嬉しくなって、全面的にA社に任せることで、三者合意を取り付け、一安心した。(その後、N社に出資した100万円はM君から返還して貰った。)私はこれで一件落着したと思い、その後暫くはこの件から遠ざかっていた。
それから数年後、再びT先生からお呼びが掛かった。市場クレームが多く、A社に問題があると言われたからである。私はその後、再び抜き差しならぬ“泥沼”に足を取られることになる。私は仕事の合間を見て、何度かA社を訪問し、T君から問題点について伺った。T君はどちらかと言えば、楽天的な男で、余り事態を深刻には受け止めていない様だった。しかし、T先生はそうは思われていない。私はあのキッシンジャー補佐官の様に、両者の間を何回も言ったり来たりして、両者の言い分の違いについて検証していった。
一言で言うと、両者の見解は殆どすれ違いだった。T先生の言い分は①設計通りの義足が出来ず、クレームが多い。②自社事業を優先し納期が遅れている。③経理がいい加減である。一方T君の言い分は①(設計図が)製造の事を考えていない。②手直し作業が多く効率が悪い。③採算割れを引き起こしている。の様に記憶している。
これでは、両者は平行線である。然も重要な品質・納期・コストいずれの面でも問題がある。私は何度かの“往復外交”を繰り返した後、K君と「最後に当事者を入れて話が付かなければ、提携解消しかない」と腹を決めた。そして其の会議がA社で行われ、最悪の結末を迎えた。両者の言い分は真っ向から対立し、T先生がA社との“決別”を宣言されたのである。
先生は、既に其の結末を予測して、次の方策を考えられていた。それは、Y君と言う優秀な加工技術者をキーマンとして、義足専門工場を運営させようとの考えだった。私はY君を殆ど知らないが、先生によると腕は確かで、真面目一本の男との事だった。
然し事はそれだけでは収まらなかった。A社は義足事業の他にも、自社事業を抱えていたからである。棚卸資産の分離作業は困難を極めた。何故なら、大企業であれば、事業部毎にきちんと棚卸しをして、経理処理も出来ているのだが、中小企業はそうは行かない。言うならば家族経営の丼勘定である。何所から何所までが義足分なのか、公私の境界すらはっきりしない。おまけに私は当時、A社に対して、自社で遊休化した中古フライス盤まで、譲渡していた。勿論“義足事業”を支援する為だった。私は“苦悶”し、この分離作業から手を引く事にした。どう動いても“両者を傷付ける”からであった。
そして、それから数ヵ月後、T先生から再び電話があった。「裁判所に行くから来て欲しい」と。先生は、最後の手段として司法に訴えられたのだった。私は車を持たない先生を“裁判所”へ送った。先生の顔は痩せて目は落ち窪み“隈”が出来ていた。私はそれを正視出来なかった。続く