米国出張(その四)

シアトルは“シーフード”が美味しい所だと聞いた。何を隠そう、私は子供の頃から“猫族”で、魚には目が無い。書くのを忘れたが、あのラスベガスで一度だけ見に行った“ショー”の席に出て来た、“アメリカンビーフ”など“雑巾”の様に大きくて硬く、私は一口食べただけで諦めてしまった。横でむしゃむしゃ食べているアメリカ人を見ると、とても同じ人間とは思えない。同様に、缶ビールみたいに大きな“コーラ”も苦手であった。甘いだけで、半分も飲めない。
ツアーもこの時期、即ち終盤に差し掛かると、メンバー同士の気心も次第に分かり、幾つかの仲良しグループが出来る。私の相棒はT社の人だった。T社は例の“マルチセントラル”で述べた中の一社で、我社は私が開発に失敗したローボーイタイプのエアコンを、プライベートブランド(他社の製品に自社のマークを付けて売る手法。現在日産ブランドの軽自動車は三菱自動車製)として購入する関係でもあった。それは兎も角、T社の社風は都会の坊ちゃんタイプ。アクが無く、付き合い易い。私は大抵彼氏と共に行動していた。そして二人で何軒かのシーフードレストランを廻った。然し、魚は兎も角、その味付けが全く駄目だった。醤油と山葵で食べる日本の刺身とは全く異なる味付けである。これでは折角の、魚の上手さが味わえない。
翌日は早くも次のサンフランシスコに旅発つ日。ホテルでの朝食の後、ツアーコンダクタが立ち上がり、午前中に簡単な市内観光をして中食の後、空港に行きたいと提案した。私は手を挙げた。「そんな“在り来たり”のコースではなく、折角シアトル迄来たのだから、あのボーイング社を見たい」と。彼氏はちょっと驚いた様子だったが、メンバーの何名かも私の“提案”に同調したので、当って見ると言って、電話で交渉していた。然し、その交渉に思わぬ時間が掛かった。出発したのは昼前だった。そしてバスで同社の玄関に近付いた時、彼氏は申し訳なさそうに“言い訳”した。「ボ社を見学するには時間が足りませんので、このままバスから見学して空港に向います」と。私は歯軋りした。そしてツアーコンダクタと、リーダのG社の男を睨みつけた。それまでの一年間、我々の空調工業会の議長として、議事をリードして呉れたあの男にしては、お粗末な対応だった。こんな事なら私がリーダに名乗りを挙げれば良かった。私達はフェンスの外からボーイング社の、広大な敷地に広がる工場群と、引渡しを待つ何機かが並ぶ、専用滑走路を横目で見ながら、歯軋りしつつ、後ろ髪を引かれる想いでシアトルを後にした。私は今も、あの“空白の半日”を残念に思っている。
サンフランシスコでは、有名なゴールデンゲートブリッジ、フィッシャマンズワーフ、ケーブルカー等々、其れこそ“誰も”が行く“在り来たり”の観光コースだった。私はもうその時は殆ど諦めていた。団体旅行は所詮、決まり切った観光コースを“ぞろぞろ”と歩く事だろうと。そしてその時私は思った。もう“金輪際”幾ら会社の“出張旅費”であっても、“お仕着せの団体旅行”は御免だと!あの時私が“若し”リーダだったら、少々無理してでもシリコンバレーの一社、出来れば「マイクロソフト」か「インテル」を見学する処だった。終わり