山と海(その二)

日本の代表的な山といえば、何と言っても富士山。これは静岡県と山梨県の県境に位置する。勿論私が当時住んでいた静岡市のみならず、後に家を買って住んだ焼津からも、好天の日には其の頂を見る事が出来た。私は、車を買ってからこの富士山に何度も行った。勿論五合目迄である。富士山への登山ルートは幾つもあるが、私が登ったルートは主に富士宮ルートである。此処には当時、既に立派な自動車道路が出来ていた。然し、私の車は360ccの軽自動車。幾ら新車とは言え、其のエンジンのトルクでは富士山登山道路は如何にもしんどい。延々と続く坂道を登る内に、次第に車の速度が落ちて、遂にはエンスト。其れからはローギアで、エンジンをウォンウオン吹かしつつ、ゆっくりゆっくり登るしか方法が無かった。後からは普通車がどんどん追い越して行った。
富士山の表情は夏と冬とでは全く異なる。夏の5合目は快適だが、冬の其れは完璧な雪景色。厳しい冬山の姿に一変する。多分夏休みの時期だったと思う。熊本から従姉が友人を連れて、静岡に遊びに来た。其の時は私の車で富士山に行くのは無理と思い、彼女のカローラで行った様に覚えている。確か、途中有名な景勝地の“白糸の滝”にも立ち寄った。当時も普通車であれば、たとえ4人乗りでも5合目まで何無く行けた。
其の2年後私は結婚した。そして新婚間もない夏休み、何と家内と2人で富士登山に挑戦したのである。夜出発して、五合目までは例の如く、ローギアでゆっくり登った。そして真っ暗な中を、大勢の登山者に倣って登り始めた。6-7-8合目と標高が高くなるに従って、勾配がどんどんきつくなる。確か8合目の山小屋で仮眠を取った気がする。家内は少し眠ったと聞いたが、私は寒くて殆ど眠れなかった。誰かが「日の出だ」と叫んだような気がする。眠い目を擦り、東の空を見ると、雲間から御来光を拝むことが出来た。其れから又続きの登山である。9合目に差し掛かる頃から、私の頭が急におかしくなった。自分の頭ではない様な、何か鈍痛が奥底から突き上げる。高山病の兆候だった。然し其れに耐え、必死の思いで頂上に辿り着いた。然し私は、既に夜が明けて明るかった頂上の景色を、殆どまともに見る事が出来ず、山小屋でひっくり返っていた。そして何度もゲロをした。あの有名な富士山レーダーに向って。
そして“ほうほうの体”で下山したが、何とした事だろう。5合目に辿り着く頃には、気分は快適、ほんの1~2時間前の苦しみが嘘の様に晴れていた。この間、家内は高山病にも見舞われず、横で苦しむ私を尻目に、富士登山を満喫して呉れた。私はその時以降、登山に対して“その種の恐れ”を抱くようになり、二度と行く事は無かった。そして家内に対して言う台詞は何時もこうだった。「君の脳味噌は、私ほど酸素を必要としない」と。終わり