タラレバ

「タラレバ」という言葉が有る。これはあの時・・・だったら今頃は・・・とか、・・・してれば今頃は・・・だったとか、過ぎ去った事柄について、あれこれと悔む事を言う。然し人生は一回しかない、やり直しの出来ないゲームでもある。最近は結婚や離婚を何度も繰り返す人も少なくないが、一生に一度しか出来ない人が殆どである。
私は結婚して既に34年、今迄の人生の半分以上を家内と共に生きてきた。その間に色んな出来事があったが、良い事も有れば悪い事も有るのは、どの夫婦でも似たり寄ったりだろう。然し、それに対する反応は、各人で違う筈であるし、夫婦間でも当然異なる。私は何事についても、済んだ事柄に対しては仕方ないと思い、余りくよくよしない性格である。その代わり、未来については大いに悩み、今も中々見通しが利かず、結論を出す事が出来ない。一方家内は、未来に対しては殆ど悩んでいない様だが、過去に付いては何時までも拘る。例えば金銭面で、私が不良品を買ったり、高い買い物をしたり、値上がり前に資産を売却したり、出入りの業者に騙されたりした事を。然し、済んだ事柄に対して幾ら悔んだところで、事態が変わる筈もないし、不毛な論議になってしまうのが落ちである。そんな余裕があったら、再発防止策でも考えようと私は提案するが、未来の事柄については、家内との話は殆ど進展しない。
私はこのすれ違いの原因について考え「思考パターンの個人差」という結論に達した。家内はこれまで長い間主婦業が主体だった事もあり、生活パターンに幾らかの変動は有っても、概ね定型化していた。それに対して、私はサラリーマン時代に幾つかの大変動に見舞われ、先が見えなくなった事が何度か有り、退職後はそれこそ自分で道を開くしかなかった。従って家内は過去から現在に至るまで、日々の業務をどう効率化するかが主題で、未来を予測する必要をあまり感じなかった様だ。一方私は、例えば農業についても、毎日の業務マネージメントも重要だが、それは一刻を争うような事態ではなく、翌日に延期しても余り差し障りはない。然し現時点の行いが、翌月、翌々月、または翌年以降に、大きな影響を及ぼす事もある。従って、未来を予測して行動する事が、とても重要である。
この夫婦間のすれ違いを、私は今迄どちらかと言えば否定的に捉えてきた。然し、最近は肯定的に捉えようと思い始めている。即ち人生においては、過去も現在も未来も共に重要だからである。即ち、明日の未来は、明日には現在となり、明後日には過去となるからである。そう考えれば、似た者夫婦が能天気な未来語りをするよりも、互いにかみ合わない自説をぶつけ合う我が夫婦は、余程健全なのかも知れない。
そして私は性懲りも無く、昨日開かれた高校の同窓会で、家内が事前に振り込んだ事も忘れ、当日会費を払ってしまい、昨夜も今夜もこっ酷く詰られてしまった。人間は変わろうと思っても中々変われない。それを見透かすように、今夜のTV番組(嬬恋ライブコンサート・アンコールアワー)で、あの吉田拓郎が、何度も何度も熱唱していた。“私は今日まで生きて来ました!そして私は今思っています!明日からも生きて行くだろうと!”終わり