農村公園(その一)

ここ玉名市には、私の校区“石貫”を含め、現在数箇所の“農村公園”がある。そもそも“農村公園条例”は、私が生まれた昭和22年に成立した“地方自治法”に基づき定められている。この条例によれば、管理者は村長となっている。当時はここも石貫村だったので、それは当然かも知れない。処が昭和の大合併で数ヶ町村が合併して玉名市になり、村長や町長から市長に代った。然しこの条例はその後も生き続け、あちこちに農村公園が造られた。然もその造りは何処も大同小異で、広場にブランコ、滑り台、砂場等の遊具、ベンチ、水道、トイレ等である。一方、町村合併後は殆どのイベントが市主催になり、その為の施設(公園・グラウンド・体育館・プールetc.)も昭和から平成にかけて格段に充実した。一方“農村公園”の存在価値は、それに反比例するように近年急速に薄れてしまった。
私が公民館支館長(小学校区)を承ったのは4年前で、同時に“農村公園”の管理者も私となった。前支館長からの申し送り事項は“年2回のグラウンドゴルフ大会”と其の為の“公園整備”だった。私は過去4年間に雨天中止を除き、5~6回程この大会を実施した。其の場合、大会前に区長さん達と草刈りや焼却等の“公園整備”をする必要がある。普通なら先ずイベントありきで、其の為の整備である。処がこの場合、整備の“理由付け”に無理矢理グラウンドゴルフ大会を持って来た。学校グラウンドより狭くてプレーし難いのに、そうでもしなければ、誰も利用しない農村公園は“荒れ果てる”のである。先ず谷間の湿地で立地が悪く狭い。土地の段差が3段もある。遊具近辺には蛇も多い。聞けば此処の“選定理由”は、小学校から山越えで近かった為とか。然しその山道は現在、藪の中に埋もれた“獣道”になっている。
私は区長会長から“農村公園の処理”を頼まれた。それを受け、公民館長会議で何度か“対策”を発議した。然し他校区の事情はまちまちで、反応は鈍く事態は動かなかった。そこで他所の公園も独自に視察した。何処も立地や整備状態は私処よりは良かったが、利用状況は余り芳しくない様で、人影も疎らだった。そして昨年度、業を煮やした私は遂に“農村公園の廃止”を市当局に申し入れた。そして廃止後の土地返却についても、地主の意向を打診した。一人は「返して貰っても、使用計画はない。」他の一人は「畑にしたいので、段差をなくして欲しい。」との事だった。
度重なる私の陳情を受け、市当局も腰を上げて動き始めた。そして昨年度末遂に結論が出た。それは、遊具等の施設の撤去は“減価償却済み”なので可能なるも、土地及びその付帯設備(水路等)は“未償却”に付き、当面現状維持との事である。私は自分の描いたシナリオと大きく異なる結論に戸惑いを禁じ得なかったが、渋々ながら従うより他なかった。そして今年度の“校区運営委員会”に当局も招き、この事を発議して承認を得た。然しこの結果、子供が蛇に噛まれる様な危険は無くなるが、最も問題視していた公園整備作業(=草刈、焼却等)の責任は、依然として私に残ることになった。地主へも“狂ったシナリオ”を説明して了解を得るしかなかった。続く