ISO9000(その一)

私がISOという文字と初めて接したのは相当昔のことで、確かネジ規格だった様に記憶している。然しISOはその数十年後、思わぬ形で姿を現した。それはイギリスから始まって、主要先進国にあっと言う間に広まった品質管理(ISO9000)と環境管理(ISO14000)に関する規格である。
①日本企業でこれらの規格取得ブームが起きた1990年代に、私は設備・計量管理を担当していた。然し品質管理部門ではなかったので、規格対応のマニュアル(社内憲法みたいなもの)作りに直接参加する機会はなく、寧ろ決められたマニュアルに則って業務を遂行する立場にあった。そして私は当時、所謂“抵抗勢力”だった。何故ならこれらは欧米なかんずく“米英”が、自分達に都合の良いルールを作って、日本企業を振り回そうとする意図(外圧)を感じていたからである。私が最も抵抗したのは、米某社の所謂“ウイークリー管理”と称する要求だった。これは“週間単位で企業内の全ての計測器の校正期限を管理する”と言う内容で、其れまでの月次管理から見ると、格段に厳しい内容だった。若しこれを実施するとなれば、社内コンピュータシステムの見直しのみならず、人員増すら必要となり、とても呑める内容ではなかった。そして何よりもISO規格の“要求事項”にもなかった。私は品質管理部門に徹底的に抵抗し、遂にマニュアルのこの条項を“骨抜き”にすることに成功した。
②処がその数年後、既に別ブログで述べた如く、私は中小企業に“出向”となった。そして其処に在籍中、その企業がISO9000を取得する方針を決定したのだった。私は自ら“品質管理責任者”に名乗りを上げた。そして以前の“苦い経験”を踏まえ、今度こそ企業実体に合った“簡素で守れるルール”を作ろうと腹を決めた。その時は、前回と違って取得活動のアドバイスをする“コンサルタント”が付いた。私はそのコンサルタントに掛け合い“マニュアル一本”で完結した品質管理体系を作ることに決めた。それはコンサルタントにとっても初めてのことだったらしいが、同意して頂いた。其れまでは、ISO要求事項-品質マニュアル-社内規格-要領書と4階建てになっていた。こんな複雑な体系で中小企業が動く筈がない。私は下の2段階を省略して、上の2段階のみとしたのである。然し、その当時その中小企業は親会社と共同で受審活動を展開していたので、簡単には行かなかった。其処の親会社は、何と某社のマニュアルを“丸写し”して審査を受けようと目論んでいた。然し、歴史も伝統もある企業がそんな便法で上手く行く筈がない。隔週で開催されるコンサルティングの時は、何時も親企業が纏まらず、進まなかった。私は親企業と関係なくどんどん“マニュアル作り”を進め、早々に完成させた。然し結局最後には、数件の社内規格と要領書を作る羽目にはなったが、その中小企業はISO9000を取得した。然しその時、私は既に別企業に転出向となって居て、取得の喜びを味わうことは出来なかった。
③二社目の出向先は、私が元在籍していた企業の子会社で、ISOの仕組みは親会社の“丸写し”だった。これは私の“信念”には全く反する。私が其処に勤務した時期は1年足らずと短かったが、その間にも何度か内部監査や定期審査があった。然し私は役員(元同僚)から何度促されても、言を左右に逃げ回り、遂に取り合わなかった。それは親会社でさえ問題があった複雑怪奇なシステムのコピー版では、組織も人材も乏しい子会社では到底回る筈がないと踏んでいた為である。以下続く