幾何

普通、小学校で習うのは算数と呼び、数学とは言わない。何故ならば、学問と言うより計算が主体だからだ。筆算、暗算、算盤等による四則演算を習った。然し私はこれが嫌いで、得意でも速くもなかった。その証拠に、大学卒業後の入社試験であったクレペリン試験?(乱数を次々に加えるテスト)を受けた時も、周りの皆に比べて決して速くはなかった。然し試験には合格した。後になって、この試験は速さだけではなく“答の傾向で性格を見る試験”だと聞いた記憶がある。
話は遡り、中学から高校にかけては、徐々に算数的性格から数学的性格に移る。私の高校時代、1年生の数学は代数と幾何だった。私はその“幾何”が大好きだった。何故なら何となくクイズ的だったからである。幾何は主に直線と円、長さと角度を組み合わせた証明問題が多い。幾つかの“定理”を用い、定規とコンパスを駆使して“補助線を加えて”問題を解く学問である。そして問題は大体2問位である。私はこれを如何に早く解くかに“生き甲斐”を感じていた。当時の試験は、出来たら時間前でも提出して、教室を出る事を許されていた。私は“如何に早く解いて早く教室を出るか”に賭けていた。そして大抵1,2番目に出ていた。そして廊下から、他の生徒が“四苦八苦”しているのを見るのは“何とも言えない優越感”があった。それは、特に私がライバル視していたY君に対しても同様だった。然しY君は私と対照的だった。彼は決して時間前には教室を出ない。終了時間まで粘り“見直しを怠らない男”だった。その証拠に、彼の成績は殆どの場合私より良かった。私は早さに賭けているので、時には“とんでもない勘違いや間違い”があったからである。後述略
私は高校時代、総合成績で“1度も勝てなかった男”が3人居た。その中の一人がY君である。彼氏は私と同じ理工系で、九州大学に進学し、私と同様に総合電機メーカに就職した。そして嘗ての私と同じ半導体部門と聞く。
私は思う。私の嘗ての会社が彼の会社にどうしても勝てなかったのは、早さを追求する余り、クレームが多かったからではないかと。然し今年、そのY君の会社に“我が息子”が中途採用になった。私は言いたい。息子よ!早さだけが重要ではない。“正確さこそ”より重要なのだと!