蘭学事始

再びオランダ人wwooferの話題。現在は大学で再び勉強中と云う50歳の彼女は、元旅行作家若しくはレポーター。これまでに世界各地を旅行した経験があり、訪日も今回が4度目で、宮崎県綾町を皮切りに、国内各地を1ヶ月の予定で巡る計画をしていた。そんな“国際人”の中年女性が、何をどう思ったのか、農業体験を志し、其の最初に選んだのが、我が“ファームステーション庄屋”だった。私も最初彼女のメールを読んだ時、ちょっと変だと思った。50歳と云う年齢に加えて、その文面がとてつもなく長大で独特だったからである。然し「まあ、偶には中高年も良かろう」位の軽い気持で受入れたのだった。
最初駅に出迎えた時、其の出で立ちにびっくり、何とロングドレスだった。然し、話してみれば話題豊富で談論風発、これは楽しい1週間と思ったのが大きな間違い。翌日から寝込み、近所の2箇所の病院巡りについては、既に“制度欠陥”の項で述べたので此処では省く。
其の二箇所の病院で貰った薬を飲みつつ、拙宅で数日間療養したが、朝は熱が下がっても夜は39度以上に上がり、咳もひどい。彼女も慣れない外国での病気につい弱気になり、最後には泣き出す始末。又、家内には見せたというが、胸に発疹も出ていた様だった。そして又夜が来た。彼女と私は激論した。私の意見は翌朝再度内科に行き、点滴か入院すべきと!彼女は「点滴は絶対拒否。然し病名と治療法、点滴に含まれる薬品名とその効能を全て教えて貰い、自身が納得出来たら、受入れ入れても良い」と言う。そして「自分はScientistなのだ」と言う。私は「そんな奇特な医者は田舎には居ない。熊本市か福岡市の病院を探す。」と言い、2~3箇所に電話を入れたが、何処も良い返事ではなかった。
其の時、オランダの彼女のご主人からFAXが入る。中身は“英語が話せる日本の医院リスト”だった。私は彼女も望んだ呼吸器科の、熊本市の“Hクリニック”に電話した。そして翌朝1番に受付け。先生は米国での勤務経験があるという60歳位の医師だった。そしてレントゲン撮影の結果、肺炎らしいとの事。“あんなに嫌っていた点滴”を2時間余受け、私は患者が誰も居なくなった待合室で4時間待っていた。すると昼過ぎ40歳前後の綺麗な女性が現われ「私は院長の家内です。入院を勧めたが通院したいとのことなので、知合いのホテルを照会しましょうか?」と言う。「助かります!」私はその、英語の堪能な院長夫人に全てをお願いし、彼女にお別れを言い、そそくさと家路についた。数日後、彼女からメールが来た。サラリーマンのご主人がオランダから駆け付け、10日間日本に滞在し、一緒に帰国する計画との事。私は疑問に思う。
1. 最も優秀な学生が志し、6年間も大学で学んだ医者が、何故患者に英語で説明出来ないのか?
2. 江戸時代に蘭学を学んだ国オランダと日本の医学は、何故違う方向に進んでしまったのか?
若しかして、日本では教師と医者は「先生」と呼び“聖職視する”ことが原因ではなかろうか?と。