ハローワーク

私がハローワークに関係したのは、2003年の秋から2004年中盤にかけてのことだった。退職後、ハローワークに出頭して驚いた。こんなに多くの失業者が居るのかと思う程、多くの人々が詰め掛けていた。そして老若男女を一室に集めて説明が始まった。担当の若い女性の話を聞きながら、私は少しずつ違和感を覚えるようになった。この女性の頭の中にあるのは「失業者=失業保険金を騙し取ろうと考えている人種」だと信じている様に感じたのである。何故ならば、説明の其処彼処に過去の違法取得例を挙げて「例えアルバイトであっても“密告等”で必ずばれるし、その結果は“失業保険の即刻打ち切り”と言う制裁が待っている」と言う“脅しの”内容だったからである。全体説明の後、各人に失業保険カードが交付され、求職活動の要領の説明がある。
その後は毎月1回、ハローワークに出向いて“求職活動の結果”を報告して承認を得れば、保険金が下りる。求職活動とは即ち“求人票”を、ファイル又は画面で閲覧することである。私は前者の方法を採った。職種別に、ファイルが何冊も置いてある。書式が決まっているので、検索は簡単である。私は或る項目に着目した。其れは“年齢”である。此処だけ見れば他は見なくても良い。即ち90~95%が35歳又は40歳以下限定なのだから、残りの5~10%のみ見れば良いのだ。そして、その“残り”の大半が“交通指導員”か“交通整理員”と云う名称の仕事だった。私は横で閲覧中の中高年の男性に声を掛けた。「これはどんな仕事ですか?」と。「それは道路工事で片側交互通行の時、旗振りする仕事ですよ!車が突っ込んで来て、良く人が死にますよ!」と。私は「成程あの仕事には中年男性も居るな」と納得した。然し、命は惜しかったので、これに応募することは止めた。
年が開け、私は7年振り4回目の“訪タイツアー”への参加を決めた。7年ものブランクがあったのは、前回の帰国後、某上司から「お前は、会社が大変な時期に、ボランテイア等に現を抜かして、一体何を考えているのだ!」と口汚く罵られ、ショックを受けて、気が萎えてしまっていたからである。然し、今回も別の問題が生じた。黙って行けば良かったのに、担当者に相談したのがいけなかった。例えどんな理由であっても、国内に留まって求職活動をしなければ、失業給付の支給は出来ないと言う。私は迷ったが行く事に決めた。お陰でその月の給付はストップで、翌月繰越になった。私は都合退職後約10ヶ月間、一切のアルバイトも儘ならず“正式に”農業を始めたのは、退職後1年近く経ってからだった。
私はとても残念に思う。今中高年の多くが退職後“第二の人生”に踏み出そうと、在職中から色々模索している筈である。然し今の日本の制度は“性悪説”を基に作られていて、前向きな人々さえも“命に関わる危険な仕事”位しかない求職活動をして、無駄な数ヶ月を過ごすしか、失業保険を貰う手立ては無いのだと!