忠犬ポチ

「犬」と言う言葉に余り良い響きは無い。昔は「忠犬ハチ公」の様に「主人に忠節を尽くす」良い意味の言葉だったが、現在では「善悪抜きに盲目的に主人に従う」「偉大なるイエスマン」みたいな、やや否定的意味を持つようになった。
私は歴代「ポチ」「次郎」「コロ」2代目「ポチ」「テン」そして現在の「モカ」「ロン」の合計7匹の犬を飼った実績を持つ。この内、天寿を全うした犬は2代目「ポチ」のみである。他の犬は何れも悲劇的な最期を遂げた。この内の初代「ポチ」はシェパードの雑種でとても賢く、私の子供時代の親友であった。当時の犬は放し飼いが普通で「ポチ」もそうだった。私が中学へ自転車通学する時、何時も前後を走って約4km離れた学校まで付いて来た。そして帰宅すると、ちゃんと家に戻っていた。冬の朝等、竈の前で「ポチ」と並んで暖を取りながら食事を摂っていた。「ポチ」は、どんなに空腹の時でも、私が与える物以外には決して手を出さなかった。私は一人っ子の為、そんな「ポチ」を弟の様に可愛がっていた。それには悪戯も含まれていた。ある時、輪ゴムをアゴにはめたら、外そうとしてとても面白い仕草をした。私は面白がって何度もした。そして、はめたままにしたことを忘れてしまった。それからどれ位経ったであろうか?隣人が「お宅の犬はアゴが垂れ下がって変ですよ」と云って来られた。よく観ると、輪ゴムが下アゴに深く食い込んでいる。これは大変だと取ろうとしたが、暴れて手に負えない。最後は大人が3人掛かりで、大声で泣き喚く「ポチ」を無理やり押さえつけ、鋏でアゴの輪ゴムを切り取って下さった。実に恐ろしい光景だった。お陰で「ポチ」の下あごは更に醜く、血だらけとなり、輪ゴムの切れ端がぶら下がったままだった。軽い悪戯の結果の重大性を、私は身に染みて感じた。
その「ポチ」が何時も吠える人がいた。近所のKさんだった。母は「この犬は良く人を観る」等と、悪い冗談を言っていたが、Kさんは青年時代に喧嘩で誤って人を殺めた過去があった。私の祖父がその後始末をしたので、Kさんは恩義を感じ、我家の為に色々尽力して呉れた。それなのに「ポチ」が吠えるので、Kさんは怒って、繋いで置くように云われた。それが次の不幸を招く結果となった。「ポチ」は主人に付いて行くのが最大の楽しみで、主人は私であり、母であった。ある日、母がバスで街に出かける時、鎖を引き摺ったたまま、バス停まで付いて行った。母は「付いて来るな」と止めたと言うが、犬に分かる筈がない。鎖もろとも県道を横断中、トラックの下敷きとなった。確り杭を打ち込んで置かなかった私の落ち度だった。私は学校から戻って、血を流して死んでいる「ポチ」の亡骸にすがり付いて何時までも泣いた。
今「ポチ」の墓の上には、富有柿が大きく育ち、毎年多くの甘い実を付ける。私は今もそれを食べながら、あの「ポチ」と遊んだ、懐かしい昔の光景を思い出している。