贔屓(ひいき)

昔から日本男子の理想像は文武両道だと言われていた。女性の場合は少し違って、才色兼備が理想像ではなかっただろうか?勿論私は何れにも程遠い人間ではあるが。
還暦にもなると、同窓会等の行事が多くなるが、その場合恩師を呼ぶかどうかが、一つの問題となる。最近の或る同窓会で、恩師を呼ぼうと提案したら、ある女性から強く反対された。理由は「その先生は贔屓がひどかったから」との事だった。私が「そんな先生だったかな?」と言ったら、「貴方は贔屓されていたから、気付かなかったのよ!」成程そうだったのか!された人間は気付かなくても、されなかった人間は傷つき、後々まで恨みを残すのかも知れない。
そう云えば思い当たることがある。高校時代の古文である。担当は某名物教諭であった。私は一二度当てられたが、生憎上手く答えられなかった。そうしたら、その後1年間全く当てられなくなった。人間とは不思議なもので、当るかも知れないと思えば、予習にも熱が入るが、全く当らなくなったら張り合いも無くなり、勉強するにも熱が入らなくなるものである。処が、その後某教諭の贔屓は益々ひどくなり、毎時間と云って良いほど、キーポイントでTさんに当てるようになった。勿論古文が得意のTさんは、上手に回答して先生から褒められる。Tさんは才色兼備の女性であった。又スポーツも万能で、文武両道とも云える男子憧れの人だった。私はスポーツは駄目な上、古文でも後塵を拝することに!その後私は、他の人には負けても、Tさんだけには総合成績では絶対負けたくないと、彼女に対して異常な程のライバル心を抱くようになり、勉強に励んだ。これは正に某教諭のお陰である。
これには後日談がある。
その一、卒業後Tさんと私は全く違った道を歩み、再会したのは30年余り経ってから「タイとの交流の会」総会の場であった。私はスライドで「タイ訪問の報告」の途中、参加者の中に彼女を見かけ、とても驚いた。彼女は、同会の活動5本柱の一つ「奨学金里親制度」の里親として、友人と一緒に会場に来られていた。全く思い掛けも無かった。総会の後、お茶を飲みながらひとしきり話をして別れたが、遂に「昔の胸の内」は云えなかった。
その二、家内は嘗て暫く訪問介護の仕事に携わっていた。その訪問先の話の中に、どうも気になる家があった。色々聞き質すと、何と某教諭の家であった。教諭は既に亡くなり、介護相手は奥方らしい。その奥方はとても上品な方で、毎回亡き御主人の想い出話を聞かされる。と言う家内の言葉を聞いていると、何だかとても複雑な気持になった。
今考えると、Tさんも某教諭も私が勝手に意識し過ぎて、一人相撲を取っていたのかも知れない。あの時分腐らずに、某教諭担当の古文や漢文も真面目に勉強していたら、文系に進むことも出来て、ひょっとしたら今頃新聞社か、TV局に勤めていたかも?何と私が子供時代に一番なりたかった職業は、新聞記者であったのだ。