打たれ強さ

その昔、巨人が9連覇した黄金時代があった。当時の監督は川上哲治氏で、王・長島の全盛時代でもあった。その川上監督が選手を叱る時、大抵その的にされるのは長島選手(当時)だったという話を(最近)聞いたことがある。このような状況は企業内でも同様。自分のサラリーマン時代、上司の幾人かも同じ手法を使った(と信じる)。そしてその多くの場面で、不思議なほど長島役は自分であった。しかし、長島さんとは比ぶべくも無い未熟な人間である自分は、当時大いに悩み・苦しみ・ある時は上司を恨んだものである。自分では悪い事をした覚えがないのに、又同僚と同じことを言っても、いつも自分だけがひどく叱られ、会議は通夜みたいな雰囲気になる。何故なのだろう?上司は自分に何か恨みがあるのでは??そんな雰囲気は何時からか周りも知る処となる。そして彼らの結論は「徳永さんは世間知らずの馬鹿正直」だということだった。つまり、叱られない人は巧みに上司の性格を見抜き、上手に立ち回っていると云う。中には、私がこんなでは自分達にも不利益が及ぶと心配し、上手に立ち回るよう(ゴマのすり方を)助言する者すらあった。自分はそれを聞いて驚くやら、呆れるやら、とても自分は出来ないと思った。しかし、それを聞いた後は、何やら納得が行くようにもなった。中には、宴会の席で臆面も無く、新任の上司に夜の遊びを誘っている者すら居る。これが「ゴマすり」でなく何だというのだ?其処までしてでも出世したいのか。後述略
退職した今、同級生と接する機会があると、思うことがある。教員になった人が多いが、不思議に学生時代と今の立場がマッチしていない。つまり当然トップになってもおかしくない人が、未だ校長になっていない。聞けば、教育界も同じと聞く。つまりゴマ摺りの巧拙が出世の決め手とか!嗚呼、何と言う事だ!これでは子供が可哀想。
然し自分はやはりこれは嘘だと信じたい。川上監督は、長島選手がゴマすりをしなかったから叱ったのではなく、彼は他の選手より「打たれ強かった」から、他の選手を「奮い立たせる為」に、彼を標的にして叱ったのだ。私の上司も然り、私は当時、自分でも不思議な程「打たれ強かった。」教育界も然りですよね?